五幕の四・喜寿の祝宴

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娼妓の暮らしは見た目こそ派手だが、実態は地味なものである。 日のあるうちは夜への備えの時間でしかなく、(やす)むか稽古ごとに励むか仕度をするか。 せいぜいが手慰みに客から貰った品を物色したり、それへの礼状をしたためるくらいなものである。 それをよく知る八木翁は、まだ(わか)い玉露がくさくさしないよう、 折に触れては昼間や夕方の早い時分から彼を買い切り、外での遊びに連れ出していたのだった。 ある時は共に芝居を愉しみ、ある時は人力で寺巡りをし、ある時は水辺で握り飯を共に頬張り、ある時は四季折々の花を愛で。 和紙工房を訪ねたのもそうした中でのことで、玉露は老爺に促されるまま手漉きの体験をすることになった。 殆どは職工が実演するのに、玉露はちょいと手を添えていただけのようなものである。 「あの頃の玉露ときたら、小さくて痩せっぽちで。  職人がこう後ろから手取り足取り教えてやるんだが、まったくもうすっぽりと抱え込まれてしまってねぇ。ほんに愛らしかったこと」 瞼の裏に在りし日の面影が見えるのか、翁は静かに両の眼を閉じる。 隣の玉露は唇を膨らませ、 「なんだい、その言い草は。今のあたしは可愛かないって?」 と、小柄な老体に肘を食らわた。 あばらを突かれた八木翁は、「おお、痛い。痛い」と大袈裟に言って見せた後、 「まあ、こう太々(ふてぶて)しく育ってはなあ……」 と、わざとらしく落胆の仕草をする。 夫婦漫才の趣に、周囲が笑いを誘われる中、老爺は再び思い出へと話を戻した。
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