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「閨事に凝るだけが陰間の勉強じゃないって、そりゃそうなんだろうけどさ」
「おやおや、嫌だったのかい。まさか昼間は寝かせて欲しかったか言うつもりかな。まったく、ほんにつれない人だよ」
言葉とは裏腹に、老翁の目尻は下がり切っている。
応酬はもはや乳繰り合っているのと同じだ。
これには集った面々も、微笑ましいやら呆れるやら、妙に照れ臭い心持ちになって、半ばやけくそのような野次を飛ばしたり、参りましたと頭を掻いたりする。
「寝るってんなら、あたしゃお前様のお陰で夜だって寝られはしたんだよ」
翁へ向けた玉露の言葉に、またまた紅花は首を傾げる。
傾げっぱなしでそのうちコロンと首から先がもげてしまいそうだ。
そんな少年の可愛らしい素振りを見て、老翁はヤニ下がっていた目元を優しくした。
玉露もまた、目線を遠い日々の記憶から紅花に移して、訴えかける口ぶりで話し始める。
「この人ときたら、毎日夜通し働き詰めじゃ息切れしちまうだろうってさ、
こちとら爺っ様と違って若いんだから、そんな心配は無用だってのに、あたしのこと一日買いしてね、
昼間は散々連れ回しといて夜になったらお膳だけ済ませてフイっと帰っちまうのさ」
悪どい店なら、朝まで買い切りになっていようが客が失せれば次の客を宛がうこともあるだろう。
実際、金にがめつい親父が一度もそうしたことがないとは言い切れない。
しかし親父も馬鹿ではないから、小狡い真似をするにも相手を選ぶ。
八木翁は先代からの上得意であるから、その意向をぞんざいにはしなかった。
八木三郎は一昼夜分の揚げ代を弾みながらも、昼のうちだけ連れ立って外出を楽しみ、
店に戻って晩酌を済ますと、床入りせずに帰っていたということだ。
それと言うのも一年三百六十五日、休みなく働く玉露を労わり、一人穏やかに眠れる夜を過ごさせてやるためである。
なんとも思いやり深いことではないか。
よほど翁は玉露を慈しんでいたのだろう。
紅花はそんな客もあるものかと、胸打たれる思いである。
集った者たちも随分粋なことをなさると大いに感心している。
しかして、玉露はまったくの不満顔であった。
「粋って言やあ聞こえはいいけどね、ちょいと考えて御覧なよ」
玉露は叱りつけでもするような口調で紅花に向かって言う。
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