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まさか、本気で玉露が泣くはずはないのだ。
これは玉露一流の芝居である。
すべては遊びの上でのこと。
扇子のことを八木翁に訊いてみろと紅花をそそのかした時から、或いは紅花が扇子を見つけた時点から、
この流れを彼は目論んでいたのだろう。
計算づくである。
だが、真実そうであろうか。
多分、と紅花は思う。
多分きっと、玉露は本気で本音を晒している。
少なくとも今は、これが彼の本当なのだ。
だから、玉露が袂でそっと目元を隠した時、
紅花はそれをただの格好ではなく、零れ落ちた涙を真実、隠すためのものだと思った。
そこに含まれていたのは、往年を懐かしみ、かつての恋心の切ない疼きだけだろうか。
それをとうに擦れっ枯らしてしまった今の自分への嘆きも含まれていたのかもしれない。
或いは、そんなにまで恋い慕った相手のハレの日に、思い描いたもてなしをしてやれなかった悔し涙だったのかもしれない。
この失態の取り返しのつく日があるとして、それはいつの事だろう。
喜寿の次は米寿の祝いか。
その時まで八木三郎は健在でいてくれるのだろうか。
いつの日か、自身が水下げを迎える時に、この老爺は相手を請け負ってくれるのだろうか。
そんなことを、紅花はふと考えた。
やせ細った手が玉露を抱き寄せ、鈴なりの簪をしゃなりと奏でて頭を撫でる。
控え目ながらきめ細やかに寿ぎを飾った玉露の体が、小柄な老爺の胸に沈む。
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