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六幕の一・紅花
スルメの焼ける匂いがする。
腹の虫の鳴る実によい香りだ。
秋の日は釣瓶落としと言うけれど、暑さ寒さも似たようなもので、
ひやとした風が項を撫でるようになったかと思えば、
日に日に冷え込み、心地よい秋なんぞは足早な通りすがりででもあったかのように、
気づけば冬の最中である。
山あり川あり寺社に旧跡、美景に事欠かぬここ寺川町に、
唯一足りぬものがあるとすれば何か。
温泉である。
これほど水の豊かな土地であるが、生憎、寺川町は温泉地ではない。
よって、秋の行楽時期を過ぎると、町は幾らか落ち着きを取り戻す。
と言って、まったく客足が絶えるわけでもないが、
甘味処の店主の親父が、客の足元を温めるための長火鉢でスルメをあぶって店中に匂いを充満させていても、
苦情の寄せられる心配がない程度には静かなものだ。
むしろ、
親父さんこっちにも分けてくれんかね、などと、熱々のスルメを客の方でねだってきたりもする。
四季折々に風情のよい場所ではあるから、ふらりと物見遊山にやって来たものの特別気張っての遠出ではない、
という、気楽で身軽な近場の客が増えるためであろう。
そういう者はあまり体裁だの格好だのに拘らず、
多少店主の客あしらいが適当だろうと、美味い茶と甘味とにありつけ、
暖を取りつつのんびり過ごせれば文句の出ないものである。
店主はどうあれ、その女房はそこそこ愛想がいいのも一助である。
手が空いたので階下の手伝いにとやってきた紅花は、
店内に四、五名の客がめいめい暢気に過ごしているだけなのを見て、
特にすることもなさそうだと察した。
店内に漂うスルメの香気に、ついクンクンと鼻を動かす。
念の為に御用聞き、のそぶりで店主に近づき、チリチリと美味しそうに丸まってゆくゲソだの剣先だのを眺めた。
あわよくばおこぼれに預かりたい下心である。
無論、親父もそんなことは先刻承知で、実際頼む用事もないから咎めやしない。
手持ち無沙汰を誤魔化しもってそばに佇む少年の、
禿髪に小花の着物と、少女のごとくに可愛らしいのをチラと見て、
口元だけで笑みを溢す。
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