六幕の一・紅花

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ああはなってくれるなよと、 今のところ純真そうに育っている紅花を眺めて、ついとそんなことを思う親父であった。 こんな愛らしい(わっぱ)が、いずれ女狐だか古狸だかに化けるなんてのは、 世の中無情すぎるというもの。 尤も、それに一役買っているのは、親父自身なのであるが。 いついつまでも無垢な心根では色売りは務まらぬ。 男心を弄び、計算高く立ち回っては、自身を高く売りつけるのが娼妓の商い。 でなくば、ただ食い物にされて惨めなばかりである。 狐狸妖怪の如きひねくれた性根に育って欲しくもないが、 軽々しく遊ばれ使い捨てられる安い玩具のような、 芸もなければ尊厳もない心根の腐爛(ふらん)した卑しいだけの下郎になってもらってはもっと困る。 (そと)は汚しても(うち)は穢さぬ気概と気位あってこそ娼妓は美しいものだ。 そこのところ、玉露は実に立派なものだから、まあ手本としては悪くないのだろう。 どうにかして性格の悪さだけは似ないでくれればいいのだが。 と、手前勝手な願いをこねつつ親父は焼けたスルメに手を伸ばす。 ()ち、熱ちと抓んだ手を開いたり閉じたり繰り返しながら、 食べやすい大きさに剣先を裂いた。 白く上がった湯気と共に、尚一層に香ばしくスルメの匂いが立ち昇る。 「ほれ」 ふうふうと少し息を吹きかけ冷ましてやってから、 ひとつを紅花に差し出してやると、 少年は大粒の円らな瞳を輝かせて喜色満面、こぼれんばかりに破顔した。 ついでに涎まで垂らしそうである。
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