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そこまで粗食に暮させているつもりはないがなあ、
と親父は内心で苦笑する。
といって腹いっぱい食わせてやっている覚えもなから、
育ち盛りにはいつだって物足りぬものがあるのだろう。
いっそろくでなしの実の倅と取り替えに、
こっちの素直で可愛い子供と養子縁組でもしてしまおうかと、
本気ではないことを考えつつ、
「とっととあがっちまいな」
とぶっきらぼうに親父は言って、紅花の小さい手にスルメを握らせた。
少年は艶々と癖のない禿髪を振って、こくこくと二、三度も頷く。
嬉し気に礼を口にして、すぐさまくるりと踵を返した。
「おい、どこに――」
行くつもりかと、小走りに駆けだした紅花の背に声をやりかけて、
親父はまた苦笑する。
なんともお行儀のいいことだと、半分呆れた。
紅花はたかが一本のスルメを食うのに、
台所へ行って皿を出そうというのである。
よほど玉露に口煩くされているのだろう。
その程度のもの、ついでに火鉢で暖を取りつつ立ち食いしてしまえばいいものを。
しようがないから、イスのひとつも出してやるかと親父が腰を上げたところで、
紅花がも一度小さく礼を言いつつ、皿を持ってすれ違っていった。
「あ」
と思った時には、もう少年は上がり框を跨いで暖簾の向こうに姿を消している。
とたとたと愛らしい足音だけが耳に残った。
「あちゃあ~」
親父は頭の後ろに手をやって渋面を作る。
早く食べてしまえという意味で「あがれ」と言ったつもりだったのが、
どうも勘違いさせたらしいと気づきはしても、後の祭りであった。
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