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「あんたねぇ」
棘のある声が薄紙一枚隔てて投げられる。
「アタリメが美味いのはあたしも知ってるよ」
初めの一喝より幾分和らいだ声音は、
しかし怒りが収まったというよりも、呆れが勝ったふうである。
「階下で焼いてんのも気づいちゃいたさ。匂いが届くからね。
あ~良い匂いだなあ、食べたいなあ~、くらいはそりゃ思ったさ。
あんたが階下に行く足音聞いて、あいつ、おこぼれ頂戴する気じゃないだろうね。案外抜け目ないんだね。くらいも思ったよ。
親父もあんたにゃ甘いところがあるからね、少しくらい分け与えもするだろう。まあ犬の餌付けみたいなもんだし、大目にみたってたまには良いかね。
と、そんなことを考えたりもしてね」
くどくどと玉露が言葉を紡ぐ。
一息には核心に迫らぬ文句に、紅花はただ目を丸くして固まっている他ない。
「だからってねぇ」
そこで玉露はもう一度、盛大な溜め息を吐いた。
「どうして部屋に持ち込むんだい、そんなニオイ物。畳にも着物にも移っちまうじゃないさ。
ここがどこだとお思いだい。天下一等の人気陰間、玉露さんのお部屋だよ。隣は座敷だ、閨だってある。
それをあんた、アタリメ臭くしちまって、どうして色っぽい空気になるのさ。旦那だ女房だって睦言囁き合うにしたって、所帯じみちゃあ台無しだろうよ」
呆れも通り越して疲弊を覚えた。
とでも言いたげな、鬱陶し気な声で告げられ、ようやく紅花は自身の失態を知る。
「すみません……」
小さく萎れた声と共に、大事に盛ったスルメの皿に目線を落とした。
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