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陰間に限らず、娼妓は食べる物に気を遣う。
その昔は臭いを避けて、肉も魚も口にせず、色の濃いものさえ敬遠して、
香りのよい葉物や薄色の根菜ばかりを摂ったという。
すると体臭さえも芳しい、珠の肌になると信じられていたからだ。
今ではそんなことはないけれど、それでもニラだのニンニクだの、
匂いのクセの強いのは当たり前に食事に出ない。
体臭はともかく、口が臭くなってはいけないし、匂いが残っても拙いからだ。
襖に障子に畳に衝立、長押に座布団に着物に髪にと、
臭いを吸いやすいものはどこにでもある。
日本髪は毎日洗って結い直すわけにゆかないし、
ここは花魁道中が行われるような妓楼と座敷が別個の遊里などではない。
日頃、玉露と紅花が過ごす私室のすぐ隣は、一枚隔てて客室である。
いくらスルメが食欲そそるよい香りであっても、それが染みついて良いはずがない。
まして、他の部屋は私室も客室も区別なく、
たかが通いの素人どもとは言え、
体一つで日銭を得ようという者がなんとか引き込んだ客と情事に勤しむ場。
そこにスルメの匂いが漂ってこようものなら、白ける以前にもはや滑稽だ。
こうしたものは二階に持ち込むべきではなかったのである。
「何をぼさっとしてんだい。さっさと行っちまいなッ」
また、玉露の鋭い声が飛んでくる。
紅花が己の浅はかさを悔いる間にも、匂いが充満するのを厭うてのことであろう。
ビクリとした紅花は、今度こそ皿を取り落としそうになるのを慌てて持ち直し、
取り急ぎ廊下を引きかえし始めた。
その顔はすでに半分泣きべそである。
悲しいのと情けないのと両方であった。
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