六幕の一・紅花

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冬晴れの日差しが銀とも金ともつかず澄んだ輝きで、小池の水面をキラキラさせていた。 ちょんと紅花は廊下に座る。 正座してみたが板張りが脛に痛く、庭に向かって両足を降ろした。 尻が冷たい。 だが、泣きだしそうになった頬が熱いから、丁度よいようにも思える。 すん、と小さく鼻をすすった。 もはやスルメはかつての魅力を失っている。 膝の横に置いた皿を見下ろして、紅花は寂しい気持ちになった。 表の甘味処を手伝いに行ったのは、スルメ目当てなどではない。 玉露は先から匂いで気づいていたというが、紅花は店に降りるまで気づかなかった。 俗にウナギの寝床などと呼ばれる商家は間口は狭く、奥に長い造りで、 二階にある玉露の部屋と下の店とはそう近くもない。 であればこそ、店主の親父も平気で下でスルメを焼いていたのであろう。 スルメの焼いているのに気づいてからは、 美味そうだ、食べたいな、少しは分けてくれたりしないだろうかと、 腹をすかせた子犬のように下心いっぱいで親父に寄って行ったのは事実であるが、 それにしたって初めから、独り占めしようという気はなかった。 紅花は玉露と一緒に予定にない間食を楽しみたかったのだ。 そのくらい、彼を慕っているのである。 他に頼るあてを持たないから、否応なく育った思慕ではあるかもしれない。 そうであっても、慕う想いに嘘はない。 一人でスルメをしがみたいなんぞとは、これっぽっちも思わないのだ。 だからもう、一本きり、ひょろりと皿の上に伸びた茶色い物体に少年の心は躍らない。 でも、と紅花は思う。 じっと皿の上のひょろひょろを見下ろしながら、先ほどの玉露の声を思い出す。 彼は紅花の浅はかさを怒りはしたが、許しもした。 美味しくおあがりと言った玉露の声は優しかった。 きっと紅花の気持ちを多少なりと察してくれていたのだろう。 「いただきます」 右の手の平と左の手の平と、丁寧にきちんと合わせて、 紅花は更に向かってお辞儀した。 しゃらりと禿髪の切り揃った毛先が頬を撫でる。 小花を散らした着物姿で坪庭に面した廊下にちょんと座っている可愛らしい姿を眺め、 「あらあら、やっぱり追んだされたかい」 笑いまじりの声を漏らしつつ、店主の親父の女房が座布団を運んできた。
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