六幕の二・観劇

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道々、手を振ってくれる人やちょんと頭を下げて見送る人の姿もあった。 人力に揺られる二人を見て、仕事に移動中の芸者と思った観光客もあったであろうし、顔見知りの者のこともあったのだろう。 紅花の知った相手も居たように思うが、はっきりとはしない。 玉露は会話で俥を停めさせることはなく、目顔で挨拶するのみだ。 その悠然とした佇まいもまた、貫禄というものであろう。 よもや振袖打掛で出歩くわけにはゆかぬから、玉露は艶やかな友禅に落ち着いた銀鼠(ぎんねず)道行(みちゆき)を着込んでいた。 少々老けて見える気もするが、奥ゆかしく品がよい。 豊かな日本髪にも扇型の鼈甲が飾られているのみで、きゃらきゃらと鳴る花簪などは挿されていなかった。 対して紅花は慌てて仕度したせいもあって、取り立てて褒めるところのない格好である。 雪輪に菫の咲く着物は可愛らしく、薄紅の布色も紅花には似合っていたが、些か季節外れの感があり、 また合わせた帯が若草色なのも、それだけなら悪くはなかったが、 出掛けに「冷えるよ」と言われて咄嗟に着込んだ羽織が躑躅色(つつじいろ)で、どうにもまとまりに欠いている。 尤も、あんまり酷い格好では玉露が許さないから、まあそれなりではある。 ただ折角二人して出掛けるのなら、もう少し上等で玉露に見劣りしないものを選びたかったし、 できれば雰囲気の似通った揃いのいでたちなんかで行きたかったと、 紅花は思うのである。 共々の外出など、そう多くはないのだから。 まだ紅花が『梅に鶯』に来たての頃、勉強だからと幾つかの芝居や浄瑠璃などを観に、連れてゆかれたくらいであろうか。 玉露の外出は客とのものが基本で、自分では買い物に出さえしない。 物要りの時は売り子を呼び寄せ、自室からは一歩も出ずに済ませてしまうか、使いをやって買って来させるか。 その使いに紅花が出されることはままあれど、二人並んで出掛けた記憶など随分遠い。
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