六幕の三・道行

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「あんたねえ、鶏じゃないんだから、おまんま喰ったらもう前のことは忘れたなんて言うんじゃないよ。まったく、ヘボだねぇ」 逐一悪態を挟まずにおかない玉露の言を受け、紅花は芝居の感想を求められているものと気づく。 気づきはしたが、すぐには言葉が出てこない。 一言で言えば(たの)しかった。 能狂言に比べれば、歌舞伎は子供にも親しみやすい。 登場人物が多く、場面ごとに複雑な人間関係が描かれはするけれども、 お能のように朗々と唄い上げられる(うたい)から、どれが誰の心情を語ったものでどれが状況説明でと聞き分ける必要もなく、 役者それぞれが大ぶりな仕草と台詞で己を物語ってくれるから理解が易い。 例え話の筋が呑み込めずとも、小道具、大道具、絢爛な衣装など、見ているだけで目に絢であるし、 役者どもの振る舞い、遣り取りを眺めているだけでも十二分に面白い。 紅花が観てきたのは、大立ち回りの華やかな仇討(あだう)ちものだった。 主演の立役者は鳳ノ介(おおとりのすけ)である。 白塗りに赤青の隈取ですぐにはそうと知れなかったが、腹に響く低く太い、しかし濁りのない美声が鳳ノ介のものに違いなかった。 仇討ちものとは言うものの、お能にありがちな重苦しく恨みつらみの情念の濃い(はなし)ではなく、 波乱万丈、快刀乱麻、概ねドタバタ劇とも言うべき筋立てであった。 それもそのはず、歌舞伎なぞは伝統芸であれども大衆演劇に相違ない。 教養がなければわからぬ、予習せねばわからぬ、では大衆は喜ばない。 派手な衣装も道具も仕草も見栄も、要は伝わりやすくあるためのものだ。 それでも、立役者の堂々たる振る舞いは圧巻であるし、 女形(おやま)の妖艶なるは性の別を超えて魅了し、 殺陣(たて)の場面では、決まり切った型であると分かってはいても息を呑ませる。 観衆は大衆、然れども舞台の上は芸の見事。 紅花は夢中になって観劇を愉しんだのであった。
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