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斜になった玉露は眦高い双眸の、黒い目だけを動かして紅花を見た。
流し目と言うよりも、横目に見たという印象である。
紅花は見下されているような居心地の悪さを覚える。
実際、座っていてもなお玉露の方が頭の位置が高いのだから、見下されているには違いない。
そんなことはいつものことだけれど、紅花は不安になった。
何によってかわからぬけれど、ヒヤリと冷えた肝が腹の底にわだかまってゆくようである。
「けどね、あんたもそうでなきゃならない事はないんだよ」
玉露はやけに明瞭とした口ぶりで言う。
それでいて、その言葉にさしたる威勢はない。
「あたしはあたし、あんたはあんた。哥さんだ見習いだって言ったって、同じに生きる道理はないさ。
従順なのも良いけどね、そりゃあんたの美徳で、けど欠点じゃないのかい。
ヨチヨチ歩きの雛じゃあるまい、考えなしに後を追ってるだけじゃ能がないってもんだろう」
玉露の言葉がいやに紅花の耳に突き刺さる。
語勢はけして強くない。鋭くもなく、激しくもない。
むしろ半ば投げやりで適当な印象すらある。
だのに彼の言葉が紅花の胸をいやに抉る。
「要するにね、あんたが本来の意味での陰間宜しく歌舞伎芝居がしてみたいってんなら、口利いてやらなくもないって言ってんのさ。
何せあたしの哥さんはあのトリスケ様なんだからねえ。
たまさか直弟子にしてくれとか端役をくれだとか、そりゃあ無理な相談ってもんだろうけど、今を修行と心得ていずれ門下に加えてくれというくらいなら、通せぬ話じゃないだろうよ」
で? と玉露は問うた。
今日の舞台はどうだったかと、初めの質問に戻った。
問われたのは、芝居見物の感想ではなかったのか。
否、それはそうに違いない。
だが、紅花の想定したのは飽くまで観客としてのそれで、陰間としての学びの一環としてのそれで、
玉露のそれは紅花の想定とはまるで違う立場のものだった。
「……どうして」
と、紅花の唇から震えを帯びた呟きがこぼれた。
喉がヒリつき、声が掠れた。
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