幕の裏の八・沙汰の顛末

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曰く、 男に遊びも与えぬでは女として半人前、思うさま男を遊ばせてやって手綱はしっかり握るのが一人前の女というもの。 そこのところ、茶屋で侍る娼妓らの方がよほど心得が行き届いている。 殊に『梅に鶯』の玉露と来ては、女よりも女らしい陰間ぶりもさることながら、その手腕の天晴れなこと。 一を話せば十に通じ、機知に富み、芸事に優れ、情に篤く懐深く、男心を掴んで離さず、そのくせ未練も外連も見せはせず、仏の掌に遊ばすかの如く男を楽しませる。 ああした女が男を立派にし、日々を豊かにするのだ。 お前にも見習ってもらいたんもんだな。 とかなんとか。 随分な言い草があったものである。 そもそも斯様に多くを語れる程、男は玉露と相通じてはいないのだ。 保身に駆られて話を盛り過ぎている。 それを差し引いたって舅の言い分として最低だ。 およそ息子嫁の耳に入れるべき言葉ではない。 それをつい、言ってしまった。 女は酷く傷ついた。 腹を立てればいいものを、真面目な女は舅の言葉を真に受けて、しかし到底納得できるはずもなく、 深く思い悩んで思い詰め、挙句、どこをどうまかり間違ったか、 要らぬ世話を口にした舅ではなく話題に上った玉露の方に、恨みつらみを募らせた。 そうして此度(こたび)の事件と相成ったのである。 別に狙いすまして待ち伏せしていたわけではないらしい。 女はたまたま使いに出ていて、玉露の名を耳にした。 歌舞伎見物をした観客の中に玉露を知るものが居たようだ。 一番後ろの席すらない場所で立ち見客に紛れていたのを不思議がって、歌舞伎小屋からの帰る道々寄った小間物屋で世間話の種にしたのだろう。 玉露の名を耳にして女の胸がざわついた。 そこにまた別の客がやってきて話の輪に加わった。 ついさっき通りがかりで蕎麦屋に入ってゆく大柄な娼妓とお禿(かむろ)を見たが、もしやアレが噂の玉露さんかい――などと。 井戸端会議の女房連中宜しく、小間物屋の片隅で、歳のバラバラな男連中で噂話に花が咲く。 歌舞伎小屋で玉露を見たという者は紅花が居たのを知らなかったから、 禿連れだったならありゃ禿のお勉強に付き合ってたからあんな場所に控えていたのかと、一人合点して偉いもんだと褒めそやし、 小間物屋の親父は、そんなら禿じゃなくて小僧さんだろうと些細な指摘をし、 蕎麦屋で見かけたという男は、 あんな可愛らしいのが小僧っ子とは陰間というのは凄いもんだと感心しつつ、玉露のことも上背がなければ男とは欠片も疑わなかったろうと唸る。 その語り口は三者三様なれど、いずれもどこか自慢げで、 まるで玉露を知っている又は一目見ただけでも、誇らしいと言っているかのようだった。 実際は、ただ単にごく当たり前の範囲で盛り上がっていただけだろう。 確かに玉露は知る人ぞ知る人気陰間ではあったが、それは所詮、この小さな片田舎での話であり、 天下に轟く傾国の美女という訳でもなければ、格別優れた人物像の偉人という訳でもない。 褒めもされれば貶されもする、人の話題など勝手気ままなものだ。 しかし思うところのある女の耳には違って聞こた。 玉露を讃える言葉は実際以上に誇張され、一言一言が耳に突き刺さり、胸は何度となく抉られた。
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