幕の裏の八・沙汰の顛末

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散々羞恥で身もだえした玉露は、じきにがっくりと脱力した。 羞恥心と入れ替わりに、あまりの馬鹿らしさで虚脱感に見舞われた。 別にいいのだ。 読み違いなど珍しくもない。 妙に気取って見せたら恥の上塗りだったことも。 ええ格好しいは今に始まったことではなく、意地っ張りの見栄っ張りは昔からの得意で、 その結果が芳しかったことなどあまり多くない。 だいたいは墓穴を掘る羽目になるのだ。 そんなことで一々挫折したりなどしない。 誇りは傷ついたが、元より傷だらけの珠だ。 傷を負い、ひび割れ、欠けて、それでも磨きに磨くことで、あらゆる角度で光を撥ねて輝く珠。 玉露の矜持とはそういう種類のものだ。 そういう魂で生きてきた。 だから別にどうでもいいのだ。 こんなことは、なんでもない。 恥をかいたのも、 商売道具に瑕をこさえてしまったのも、仕事に穴を空けたのも、 結局は己の行いの結果で、巡り巡っての因果である。 誰を恨んで、誰が反省したとて、今更取り返しはつかぬ。 ならばくどくどと考えるだに無駄なこと。 と、思いはする。 するのだが。 やはり、恥ずかしいものは恥ずかしい。 悔しいものは悔しい。 幾らか恨めしくもある。 玉露はそれほど人間ができてはいない。 やっけぱちな気分にもなる。 こんな時こそ酒気を浴び、男に戯れ、色恋を弄んで、策を練っては手ぐすねを引き、 浮世を忘れて憂さを晴らしたいのに、肝心の客を取ろうにも取れぬ。 見舞いにやって来るのは花屋の生意気な小娘とどこぞの探偵モドキくらい。 客は遠慮してやって来ない。 着飾りようもなく病室に横たわるところを見られて喜ぶ娼妓など居ないから当たり前だ。 あの猪田ですら、どうしても心配で声だけでも聞きたかったと言って廊下までやって来て、互いの姿を見ぬままニ、三、言葉を交わすという、 それはそれでどうかと思う(おとな)いを一度したのみだ。 医者が言うにはまだ当分、店には戻れそうもなく、 戻ったところで、酒も閨事も禁止である。 そもそも病室(ここ)は手持ち無沙汰なのだ。 だからいつまでも過ぎたことを思ってしまうし、らしくもなく鬱屈せずに居られなくなるのである。 「あああぁ、クサクサするッ」 意味もなく喚いて背中の枕を引き抜き、扉に向かって投げつけると、 ちょうど戻ってきた『天満堂』の主人が花瓶を抱いたままヒョイと避け、 後ろに続いていた紅花が顔面に食らって引っくり返った。
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