七幕の一・宵の口

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順当に考えれば鳳ノ介(おおとりのすけ)八木三郎(やぎざぶろう)であろう。 鳳ノ介は玉露にとっての(あに)さんであるし、八木翁(やぎおう)は水下げの相手である。 共に古い恩人であり、復帰の初めの客として誰もが納得のいく選択である。 しかも、どちらを選んだとて、選ばれなかった一方の顔に泥を塗ることになるわけでもない。 妥当である。 妥当ではあるが、故に面白みがない。 相手にも何故自分が初めの客に選ばれたか、容易に見透かされるだろう。 それが八木翁であれば、分かったうえで玉露を存分に甘やかすであろうし、 鳳ノ介であれば皮肉を交えながら一層深く玉露の懐へと切り込んでくるに違いない。 どちらであっても相手の遣り様を上手くやり過ごす自信がなかった。 玉露にしては珍しいことである。 長の休みで気が弱っていたのかもしれない。 かと言って、猪田を選べば付け上がること請け合いで何やら癪に触るし、 篠山(ささやま)一新(いっしん)では必要以上に重く受け取りかねない。 その点、占部(うらべ)粋正(きよまさ)であればどちらの心配にも及ぶまいが、 男爵家の跡取りで青年将校でもある男と娼妓の組み合わせというのは、いかにも物語じみて薄ら寒いものがある。 上客として特別ぶる分には構わないけれど、本当に特別にしてしまっては思いがけず坂道を転がり落ちそうで危なっかしい。 所詮、客は客。一切は遊びのうちである。 だからと言ってトキワなんぞは言語道断、軽はずみにも程がある。 それだけは、どうしたって嫌だった。 夜毎の客は数多あれど、ここ一番に値する上客は一握り。 そのいずれもが一筋縄ではゆかぬ。 ゆかぬからこそ面白くもある反面、時に面倒でもある。 はてさて、如何にしたものか。 無論、そんな胸の裡を声にして吐露する玉露ではなかったけれど、 決めあぐねているのは傍目にも明らかで、まして自称探偵を気取る勘のいい男が見逃すはずもない。 「(えら)べないなら選ばなければいかがです?  いっそのこと、みな一様に集めてみては?」 と、突拍子のない提案をしたのであった。 その真意は定かでない。 単に善意で思いつきを口にしたものか、 それとも或いは、凡そ一番に選ばれることがないであろう自身を省みて、 どうせ自身がなれぬなら誰も一番乗りになどさすまいと、姑息な算段をしたものか。 トキワとて玉露に気がないではないはずだから、そうした思惑があったとしても不思議はなかろう。 果たしてその発言を玉露がどう受け取ったか、実際のところは紅花には分からない。 ただ、束の間呆気にとられた彼は、次いで可笑しそうに声を立てた。 かくして、 特段の拒絶を受けなかったトキワは自らの足で稼いだか、はたまた猪田あたりに話を振って泳がせたか、 子細なことは不明であるが、快気祝いの名目のもと、鳳ノ介や八木三郎のような格別の客に限らず、主だった常客やら関係者やらに声をかけ、 今宵の宴が開かれることと相成った。
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