七幕の二・酔いの中

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紫の無地に濃い抹茶の帯を締め、鬢には珠簪がひとつ。 地味な装いであるが、なんとも華やいで見えるのは仕草、表情から滲み出るものか。 ふうと色香を匂わせつつも、品のいい女である。 化粧はしているが若作りはしていないものと見え、三十の坂を越す年頃らしく察せられる。 ほほほ、と女は手の甲を輪郭に添えるようにして哂った。 「哥さまは哥さまでしょうに、玉露のお哥様(にいさま)」 どこか女狐じみた女である。 それでいて厭らしくは感じさせぬ。 「兄弟子と哥さんを一緒にするんじゃないよ。あんたを躾けた覚えはないね」 「そりゃあ、勿論」 ビンッ、と妙音がひとつ鳴る。 女の抱いた三味が発したものだ。 バチを持つ手は白く細く、女の曲線の持つたおやかさを備えた美しいものだ。 が、玉露のそれと違って爪の先まで磨き抜かれてはいない。 三味の竿に添えられたもう一方の手も同じく、タコやささくれのある使い込まれた手指であった。 「こちとら三味一本で渡世する身、閨のいろははとんと知りんせん」 わざとらしく語尾を廓言葉風にして、女は鋭い眼差しをくれる。 玉露は降ろしかけていた腰を伸ばし、顎を高くして殊更に女を見下げた。 「年増女が偉そうに」 「年増結構。()る年月は芸を磨きこそすれ、歳追うごとに買い叩かれる誰ぞの稼業とは違っておりますから」 丁々発止、不穏な空気に苛まれる。 かと、思いきや。 「相も変わらぬ減らず口だねえ。  そうも可愛げがなくちゃ、娼妓になんてなりたくってもなれやしない。  嫁の貰い手だって付きゃしないだろ。  芸者はあんたの天職だよ」 「哥さまこそ、いつの間にそんなに口が悪くおなりなのだか。  とは言え、そうもお綺麗だと様になること。敵いやしない」 くくく、ふふふ、と二人して肩を揺らし合う。 戯れである。 トキワか猪田か誰が呼んだか知れないが、女はかつて玉露が三味を習った師匠の教え子のひとりであった。 芸の道は上下関係が厳しい。 偶々(たまたま)玉露が鳳ノ介を介して三味の師匠に引き合わされたその数時間遅れで、 門戸を叩いた年嵩の少女は妹弟子の立場に甘んじねばならなかった。 そのせいなのか、単に元の気性がそうであったか、 当時の彼女は何かと玉露に突っかかっては無言のうちにあしらわれていたものだ。 顔を合わすのはいつぶりか。 陰間茶屋に女人が出入りしてならぬ法はないにせよ、 敢えて呼ぶ者もそうは居ないから、彼女が『梅に鶯』の二階に上がったのはこれが初めてである。 玉露もまた、三味は飽くまで陰間として身につけておくべき芸事のひとつとして学んだに過ぎず、 じき師匠家(ししょうや)(おとな)うこともなくなり、 一時(いっとき)共に励んだ少女のその後など知ろうとはしなかった。 友人とは呼べぬが古い顔見知りには相違ない。 それと久方出会う機会を得たのは、玉露にとって物珍しく、面白い出来事ではあった。 たまには腹のひとつも刺されてみるのも悪くないなどと、 喉元過ぎればなんとやら、性懲りのないことを考えてみたりする。
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