七幕の三・世に明けぬ日はあらじ

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紅花は水仕事も多く手掛けるけれど、肌の荒れを玉露は許さない。 佳い香りのついた油脂や糠袋でしっかり手入れするよう躾けられている。 だから紅花の手は、玉露ほどではないにせよ指の先まで白く美しく整えられている。 むしろ、幼さの分だけふっくらとして、玉露のそれよりたおやかさでは勝るやもしれぬ。 まるで女の手のようだ。 だがまだ自身は女ではない。 ふと紅花はそのことを思う。 どう逆立ちしても男は女に()れはせぬ。 けれども陰間はそれを()す。 女よりも女らしく、女を超えて美しく。 押し殺された男らしさが女の装いの下から滲み、混じり、女でもなく男でもない、且つそのどちらでもある玄妙な美を織りなす。 それを夜毎の玉露の変貌ぶりでよくよく目にしている紅花には、 自身がまるでその域に至らぬことがよくわかる。 が、そもそも、紅花は勘違いしている。 そのことに当の紅花は気づいていない。 気づきようもないのである。 少年の手本は玉露の他にないのだから。 しかし彼は有り体に云って、既にトウの立った年増である。 陰間の本来は玉露の魅せるそれではない。 未だ雌雄の分かれきらぬ童子の殆ど女児(おなご)と区別のつかぬ愛らしい(なり)を興がるものだ。 その上で、どう足掻いてもいずれ男になるべき、ならざるを得ぬ定めのものを、敢えて組み敷き手籠めにする嗜虐の趣向である。 尤も、『梅に鶯』自体がすでにしてその道から逸れている。 通いの者らなど実質は陰間とも呼べぬ男色家の色売りに過ぎず、それとて、使える穴なら使って日銭を得ようという程度の輩が殆どだ。 玉露はトウが立っておれども客入りが上々であるから売り出し続けるに差し支えない。 そも、店主の親父は実入りのいい家業を親から有り難く継いだに過ぎず、元より衆道に興味がないし、陰間に対する拘りもない。 よって紅花が元来の陰間を解さぬのは致し方のないことだ。 反目する性の融合した不思議に魅惑的な玉露を目標と定めているから、 未だ(おさな)い自身が陰間となるに不十分だと言われれば、それは当然そうであろうと信じ込む。 未成熟なればこその陰間稼業とは露知らぬ。 ただ、玉露が紅花の歳頃にはとっくに客を取っていたことは既知の事実である。 「あの」 沈思黙考していた紅花は、玉露の背へ向けて声をかけた。 午睡を邪魔しては機嫌を損ねるから、返事がなければ諦めるつもりであった。 手には単眼鏡を弄んでいる。 扇子はいつの間にやら長持ちに戻したものらしい。 単眼鏡はいつぞや玉露がくれたものだった。 歌劇(オペラ)見物の土産という話だったが、ここいらではそんな西洋渡りの演目など観れはしない。 客が玉露に自慢しいしい贈ったのを、玉露が無用の長物とばかり投げ捨て同然に紅花に下げ与えたのである。 案の定、紅花にも使い道はなかったが、 金色の外装や嵌ったレンズ、螺子(ねじ)やら軸やらが精巧に組み上げられた可動部など、 眺めるだけでも少年心をくすぐるに十分な代物であった。 当初は随分遊んだものである。 忙しさに紛れてしまい込んだまま忘れていた。 なんとなしに手にしたそれを弄り回しつつも、紅花の目線は玉露の背に向いている。 玉露の白い指先が細い蛇のように彼の首筋を這い、襦袢の上に羽織った褞袍(どてら)を引き寄せながらまた隠れた。 「何か用かい?」 大儀げに肩越しに横顔を覗かせて玉露が応じる。 寝起きの厚ぼったい目元で紅花を一瞥した。 「なんだい、暇そうにして。仕事は済んだのかい」 「はい」 一応は、と続けかけて紅花は呑み込み、「一通りは」と言葉を変えて繋ぐ。 玉露は猫背な寝姿勢で凝った体を伸ばしつつ、コキコキと首を鳴らした。 まったく親父くさい仕草である。 挙句、裾が乱れるのも構わず、尻を擦ったまま向きを変えると、文机を背もたれひじ掛け代わりにして緩い胡坐を組む。 相も変わらず、昼間の彼はだらしがない。 白粉のはげた顔は黒々とした睫毛を除けばどこも薄い目鼻立ちで、華やかさとは縁遠い。 それでも躾には煩く容赦がないから、言葉は間違わないほうが良い。
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