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「一通りねえ。で、階下を手伝いもしないで遊んでんのかい」
が、言葉を選んだところで浅知恵、結局叱られるに相違はない。
かと、思われたが、
「ま、いいよ。昨日の今日だしねぇ。
昨夜は随分はしゃいでいたようじゃないさ。あんたにしちゃ珍しい」
そう言って彼は口角を高くした。
「何がそんなに面白かったんだか。
けど、ま、なんだか可笑しな具合ではあったよねぇ。あたしもあんななぁ、初めてだよ。女も男も馬鹿騒ぎ。
悪かなかったけどさ」
で、と玉露が水を差し向ける。
口ぶりに釣られて昨夜の雰囲気を思い起こしかけていた紅花は、
先に声をやったのが自分だったのを思い出し、深く考えぬまま続きを言った。
「仕込みはまだして頂けないのです?」
数瞬、沈黙があった。
「あんた、寝とぼけてんのかい?」
玉露が質問に質問を返す。
責めているというより呆れ返っているらしかった。
「そんな格好で、そんな顔して、訊くことかい。
前にも似たような話はした気がするけど、そん時とは豪い違いじゃないさ」
言われて紅花は自身を見下ろす。
長持ちを背に脚を伸ばし、腿の上には玩具代わりの単眼鏡。
いつになく子供じみた姿勢である。
あまりにも気が緩み過ぎている。
自身でも驚いた様子で、紅花は目をぱちくりした。
遅ればせながら姿勢を正そうとする紅花を、玉露がいい加減な手ぶりで制する。
「ああ良いよ、楽にしてな。別に畏まってする話じゃないからね。
むしろ、あんたが妙に固くなって訊いたりするから、こっちも身構えちまうんさ。
仕込みねえ。ま、そろそろやっても良いんじゃないかい」
実にあっさりと、何かのついでのような口ぶりで玉露は言った。
自分から言い出したにも拘らず、あんまり軽々と承諾されて紅花はポカンとする。
「良いんですか?」
間抜け面のまま問い返した。
「良いも悪いもないだろ。あんた何しに此処に居んのさ」
「それは、勿論そうですけど」
「けどなんだい?」
「いえ……」
余りに急な心変わりである。
心変わり、そう、心変わりである。
これまで玉露は頑として紅花の閨の仕込みは未だ先という姿勢であった。
ように、紅花は感じてきた。
それが今日に限って手の平を返した如くに良しとしたのは何故か。
修行が成ったということであろうか。
とてもそうとは思えない。
昨日今日、或いは先月半月前と今の自身、さほど大きく変わったと紅花は感じ得ない。
努力はしてきたし気負ってもきたが、飛躍と呼べるほどの成長ができた気はしていないのである。
ならば、単に玉露の気が変わったとしか捉えようがない。
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