刻まれた痕【西崎視点】

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愛華は他の学生みたいに音楽以外のことに浮ついた感じは一切無かった。 容姿は美人だしそこそこ化粧もしているが取り立てて着飾っていることも無く、男性に媚びるでもなく遊んでる風もなくいつも練習室にいた。 オレより2学年下だから講義が被ることもないから見かけるのは練習室とレッスン室だけなんだろうれど、それでもいつもピアノを弾いている印象だった。 愛華の奏でるピアノは不思議な透明感があった。粒の揃った真珠のような音は、これみよがしに見せる表現なんていらなくて、それだけですでに音が表現してる。 一見無機質だが、純度の高い音色を奏でる事は難しいし、それが出来るのは得難い才能だと思う。 それを横井教授も分かっていて彼女には厳しく指導に当たっているようだった。 でも……今日も練習室の小窓から見える美女の横顔は硬く、面白くなさそうにピアノを弾いているのが気になった。 (何とか近づけねーかなぁ……) たぶん他の女の子なら簡単に好きだよとか言っちゃってキスとかしちゃえば……その、デキちゃうけど、愛華にはそんな風に接する事が出来なかった。 「おはよ愛華、今日は何弾くの?」 「今度の教授の推薦で器楽科の伴奏をする事になったのでそれをさらおうかと……あまり弾いたことのないタイプで結構苦戦してます」 見せてくれたのはシベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調Op.47だった。 (これ音色が難しいやつ……) オーケストラが多彩な音色を奏でるこの曲をピアノで表現するのは中々に難しいが……愛華の美しい音色ならそれを出せるだろうか? いや、これはきっと勉強のためなんだろうな。横井教授の意図を感じる。 少しだけ不安そうな愛華の肩をポンと叩いて優しく見せるように笑った。 「りんりんなら大丈夫だろ、上手いんだし練習熱心だし」 「はぁ……上手くないですよ私」 「何言ってんの」 「それではまた……西崎先輩も練習頑張ってくださいね」 「おう」 そういや、高校の入試以来だな、こんなにピアノ弾いてんの…… 気づけば愛華目当てで練習室を欠かさず取るようになり、その流れで弾くようになって確信した。自分はピアノ弾きじゃない。それで転科を決めたんだ。
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