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三途の川の上流域はリゾート開発に余念がない。川遊び、釣り堀、テニスコート、バーベキュー、キャンプ場に高級ホテルもあって、地獄のオアシスと呼ばれている。
「マキ様、アンダーネットで中継がはじまりますよ。開会式です」
にこやかにいったのは魔王の側近の鬼だ。魔王の命令で俺についていて、はじめての場所へ行く時は手配だの道案内だの、あれこれ世話をしてくれる。俺は心の中で鬼ガイドさんと呼んでいる。
「開会式ねぇ」
俺はコテージのソファに寝転んだまま壁に映し出された映像を眺めた。四年に一度のヘルリンピック、酷暑競技部門の開会式がはじまろうとしているのだ。ちなみにアンダーネットは地獄版インターネットのようなものらしく、地上のテレビ放送、衛星放送もみられるのだが、どういう理屈でそうなっているのかなど聞かないでほしい。俺は寝ているあいだ地獄に落ちているだけのただの人なのだ。
ドロドロドロドロ……と地獄らしい太鼓の音が鳴り響く。合奏のように聞こえるが、カメラが切りかわって映し出されたのは、数え切れないほどの腕をもつたった一人の鬼が目にも留まらぬ速さで叩いているのだった。地獄アトラクションでひっぱりだこの鬼太鼓アーティストだ。
「おっ、魔王が出た」
舞台の上で暑苦しく燃える炎を背景にイケメンが立ち上がった。地獄の魔王である。
「めちゃくちゃ燃えてるな」
「ヘルリンピックといえば地獄の業火ですから」
~といえば、といわれても、地獄のレガシーに疎い俺にはさっぱりだが、ふんふんとうなずいて聞き流す。実は魔王に開会式に来いとしつこく誘われたのだが、暑そうだから嫌だとごねて三途の川リゾートへ高飛びしたのである。地獄の移動はなんかよくわからない原理によって一瞬でなされるので、高飛びという用語がじつに似つかわしい。でも魔王だって開会式がおわったらすぐに来るのだろうと俺はたかをくくっていた。
画面では選手鬼の入場がはじまっている。ヘルリンピックは四年に一度開催する全地獄スポーツ大会だ。夏は酷暑競技部門、冬は酷寒競技部門がひらかれる。出場選手は地獄各地の代表鬼で、亡者は鬼券を買って好きな鬼に賭ける。つまりスポーツ大会とは名ばかりで、実態は競輪のようなものだ。地獄の亡者は各種アトラクションで日々遊び暮らしているのだが、ヘルリンピックは四年に一度だけの公式賭博競技でもある。会場は地獄の業火に焼かれているというのに観客席の亡者はノリノリだ。亡者はひたいの三角布に鬼券を挟み、手を振りながら歓声をあげている。
楽しそうだなぁ。
「マキ様? どうなさいました?」
「いや、なんか、ヒマで。地獄の業火ってのはどういう原理で燃えているんだ?」
「もちろん魔王様が燃やしているのです。地獄は魔王様あってのもの、炎は魔王様の息吹ですから」
適当な話だなと俺は思ったが、地獄に関する説明は基本的にそういうものなので聞き流した。そういえば魔王は現世に来たときも、ヒュッとやるだけでステーキが焼けるのだった。焼き加減はレアもミディアムもウェルダンもお望みのままである。
やっぱり開会式行けばよかったかなぁ。疎外感あるなぁ。
魔王の姿がチラチラ映るたびにそんなことを思うが、鬼ガイドさんにはいいたくない。コテージはとても快適だ。しかし俺が思っていたよりもヘルリンピックの開会式は長いらしい。鬼印ドローンが舞う様子は花火大会の中継をみるようできれいだが、だんだん飽きてきた。
「開会式はどのくらい続くんだ?」
「一晩ですね」
「ひとばん?」
「このあと恒例のすごろくがはじまりますので」
「は?」
「焼肉すごろくです」
「は?」
会場の床がズームアップして、マス目が描かれているのがみえた。ズームする前は陸上のコースのようだと思っていたが、よく見るとすごろくの盤面だった。ふいに巨大なサイコロが会場の空中にあらわれると、蛍光色に輝きながら回転をはじめる。
「あのサイコロは地獄の業火で生まれた対流で回っているのです。お、選手が位置につきました。回りますよっ」
鬼ガイドさんの言葉と同時に亡者は手拍子を叩きはじめた。サイコロはミラーボールのようにくるくる回った。
「せえのっ」
ぽんっと開会式場の床に落っこちたサイコロの上の面は――
『5! 5です!』
アナウンサーが叫び、マス目の最初に並んでいた鬼が走り出した。同時に「上カルビ! 上カルビ!」と聴衆が叫びはじめる。何がカルビだ――と思ったら、5マス目にでっかくそう書いてあるのだった。
「マス目に書かれている肉が、ここに到達した選手に賭けた亡者へふるまわれます」鬼ガイドさんが解説した。
「へー」
「地獄の業火で炙りますから絶品です」
「へー」
いったい誰がこんな妙なイベントを考えたのだ。まともなコメントが出てこないぞ。次の選手のサイコロの出目は3。アナウンサーが叫ぶ。『ハラミ! ハラミ来ました!』
画面がぱっと切りかわり、ジュウジュウ焼ける肉の映像になった。眺めていると魔王が焼く肉を思い出してしまう。
「一晩続くといったよな。魔王はずっと開会式に詰めているのか?」
「ええ、そうなんです。四年に一度の業火バーベキューの炎を絶やすわけにはいかないので……」
鬼ガイドさんの声は心なし申し訳なさそうな調子である。俺は映し出される肉を眺め、巨大すごろくを走る鬼を眺め、ひたいの三角布に鬼券をはさんで叫んでいる亡者を眺めた。
「あー……やっぱ行けばよかったかな~」
思わずつぶやいた、その時だ。
「やはりな」
俺の真後ろで美声が響いた。正確にいうと耳の横のあたりで。ぞわぞわっとした感覚に俺は飛び上がりそうになった。
「ななななんだ魔王、変なところで声を立てるな! おまえあの開会式にいるんじゃないのか! 」
いったいどこから湧いて出たのか、開会式にいるはずの超絶イケメンが俺を上から見下ろしている。上から見下ろしているくせにどうして耳の横で声を出せるのだ。
イケメンは落ち着き払っていった。
「大丈夫だ。もうハーフタイムだ」
「すごろくにハーフタイムがあるのかよ」
「マキが俺を恋しがる頃合いだと思ったんだ。どうだ?」
「ど、どうだって……」
「俺と一緒に地獄の業火で焼かれた特上肉を食べたくないのか?」
俺は魔王から無理やり目をそらしたが(イケメンは心臓に悪い)逆効果だった。ハーフタイムの映像はじゅうじゅう焼ける肉とこの先のすごろくマスの紹介(タン、肩ロース、サーロイン、イチボ、ハツ、ミノ、リブロース……とえんえんつづく)で、ますます肉が食いたくなってしまう。
「うん、食べたい……かも」
「よし、それなら行くぞ」
「で、でも魔王。地獄の業火に冷房は効くのか?」
魔王がにやっと微笑んだ。
「心配するな。開会式でスタミナをつけて本番に突入だ」
本番ってなんの? と思ったその瞬間、俺は寝転がっていたソファごと転移していた。
ワーッ!
周囲で歓声があがった。すごろくのサイコロが回っている。
『6! 6が出ました! おお、これは! サーロインです!』
俺の座っていたソファは開会式競技場の特等席にあって、魔王は横にちゃっかり座り、俺の腰をがっつりホールドしていた。俺は「本番」の意味をうっすら悟ったが、ひとまず考えないことにした。何しろ魔王は肉を焼くのがうまい。
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