501人が本棚に入れています
本棚に追加
金曜日の肉
それは金曜の夜だった。俺は激怒した。マンションに帰って鞄を置き、キッチンへ入り、シンクの横のゴミ箱を見た時だった。
「おい、魔王。何度いえばわかるんだ。燃えるゴミと燃えないゴミはわけろ。このマンションはな、ゴミの分別をしているんだ!」
「燃えないゴミだと?」
どっかりと俺の部屋の俺のソファに座っているのは、偉そうな雰囲気を全身からかもしだしているぎょっとするようなイケメンである。起きている時にこいつに会うと俺はいまだにぎょっとするが、イケメンはどこ吹く風だ。俺のマンションに勝手に上がりこんでいるだけでなく、パソコンを勝手に起動している。画面は動画配信サービスのトップページ。おいおいおいおい!
もう深いことは気にしないことにしているのだが、こいつは地獄の魔王で、時々俺のマンションにやってくるのだ。ちなみに少し前までこの男は俺の会社のCEOだった。理由はその――いろいろこみいった事情があるのだが、ようするに働き方改革のためである。なぜそんな事態になったのかも説明がややこしいので割愛する。とにかく今の現実は、金曜の夜に地獄の魔王が俺のマンションで呑気な面してパソコンをいじっているということだ。そして平然とした顔でこう答えた。
「どうせゴミなんだろう。地獄の業火においては燃えるゴミも燃えないゴミもない」
「そうはいくか。ここは地上だ! そして俺のマンションだ!」
「そうか?」
魔王はパチッと指を鳴らした。
「じゃあこれでどうだ?」
キッチンでパッと炎が燃え上がった。ほんの一瞬、まばたきするくらいのあいだである。そしてほんの一瞬、焦げ臭いような、硫黄のような匂いがしたが、またまばたきするあいだに消えてしまう。
「どうだ?」
俺はおそるおそるゴミ箱をのぞきこんだ。瞬間的な炎はそこから上がったからである。
中は空っぽだった。それだけでなく、ゴミ箱にはなんの汚れもついていなかった。新品みたいだった。
「これでいいか?」
「……ああ……」
俺は複雑な気分でうなずいた。ゴミがなくなったのは嬉しい。家事が一つ減ったのだ。しかし魔王が分別という概念を覚えたわけではない。
「マキ?」
「ああ。たしかに……いいが……」
「じゃあ、一緒にこれをみよう。このドラマは大変けしからん。亡者が海賊版を地獄に持ちこむ前に全部チェックしておかないと」
「はあ?」
俺は魔王が検索している画面を眺めた。
「おまえ、なんで〇ーパー〇チュラルなんかみたいんだ?」
「地獄の真実とあまりにも内容が違いすぎるからだ。本当にけしからん。マキ、一緒に見るぞ。今日は金曜だからな」
「嘘つけ! 自分が見たいだけだろうが!」
「肉を買っておいた。あとで焼こう」
俺は唾を飲んだ。魔王は肉を焼くのがけっこううまい。パチッと指を鳴らすだけで望みの焼き加減のステーキができるのである。
「ほらほら」
魔王はそういって自分の隣のクッションを叩いた。ちくしょうと俺は思った。けしからん……地獄の魔王というのは……本当に……足が自然に動いてしまうじゃないか……
「……わかった……つきあってやる……金曜だからな……」
「そうそう。今日は金曜だ」
魔王はマウスをカチカチ鳴らした。パソコンの画面に映るのは燃えさかる炎だ。
「マキ、肉を食いたいか?」
「俺は帰ったばかりなんだ。食いたいにきまってる。さっさと出せ」
「焼き加減は?」
「ミディアム」
魔王の顔にうっすらと笑みが浮かんだ。
「それでいいのか?」
「俺が想像しているのは、外側は焦げ目がついてきれいに焼けていて、ナイフを入れると真ん中あたりだけがうっすら赤いやつだ。口に入れて歯を立てるとじゅわっと肉汁が」
「よし」
パッ。
焼きたての肉の匂いとともに、白い皿がパソコンの隣にあらわれた。格子状の焦げ目がついた肉、クレソン、ポテトサラダ。たちまち口の中に唾液がわいた。
「うおおおおおお魔王、愛してる!」
「そうかそうか」
イケメンの腕がぐいっと俺の肩にまわる。
「マキに愛されて俺は嬉しい」
「ああ、うん、愛してるから、早く食べ……」
「安心しろ。地獄の炎で焼いたステーキは簡単には冷めない。食べる前に愛しあおう」
「え、いや魔王、その……」
「俺を愛してるんだろう?」
「うんまあ、そうだけど、肉……」
「大丈夫だ。きっと気に入る」
何が大丈夫なのだ。そう思った俺にかまわず魔王は俺のネクタイをゆるめている。いったいどういう仕組みなのか、ネクタイがゆるむのと同時にワイシャツのボタンも上から勝手に外れていく。ひとつ、ふたつ、みっつ……
「魔王、これはどういう手品――」
「マキ、だめじゃないか」イケメンはとろけるような笑顔をうかべた。
「こんなに色っぽい恰好をされたら、肉どころじゃない」
「してるのはおまえだろう!」
「まあまあ」
「何がまあまあだ――」
ベルトが生き物のようにするするっと抜け、魔王の舌が俺の胸を這った。乳首をきゅきゅっと吸われて俺はのけぞった。これだから……これだから魔王というやつは!
「あっ……やめろってば……はぁああん……」
「そうだマキ、この前テレビで見たが、生活習慣病の防止のためにも食前食後の運動は大切だからな」
「食後もあるのかよ!」
「大丈夫だ、今日は金曜日だ」
魔王は舌なめずりしながら俺をソファに押し倒した。イケメンの口が重なってきて、肉の匂いが薄れていく。
最初のコメントを投稿しよう!