私的恋愛論

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先週まではなんともなかったのに、今日は熱にうなされ胸を痛めるみっちゃん。 実際痛いらしい。 専門誌によれば、ドーパミンの大量放出により、心臓に負担が掛かるのが原因。これじゃあ、まさに病だ。 本人は恋に落ちたというのだけど、私に言わせれば、恋を患ったってところだろうか。恋の症状は病気のそれと変わらない。 そもそも恋ってなんなんだろう。 恋愛とは言うけれど、恋と愛には、明確な違いがある。 私的恋愛論をもって答えさせてもらえれば、愛は恋よりもずっとおおらかで、何より包容力がある。 人は(なかみ)(うつわ)で構成されている。愛とは心の欲求と体の欲求両方を満たすものであり、人が人たるその全てを受け入れる、大きくも尊い存在である。 例えば親が子供へと向ける愛は 、脈々と受け継いだ遺伝子を、次の世代へと繋げたい体と、懸命にすがってくる子をいじらしく思う心、その心と体両方の欲求があってこそ、無償の愛へとつながるのだ。 これに対すれば、恋とは愛に比べれば器が小さく、特に体からの欲望を強く否定しがちだ。年頃のみっちゃんから芽生えた感情だって、成熟という体からの欲望を当然ながら無視できるものではないというのに、そんなことを言えば、やれ破廉恥だと騒ぎ憤慨するのは明らかで、彼女から言わせれば、恋とは清潔でなければならず、プラトニックで、どこまでも高潔な存在へと昇華していく。 肉の欲求を無視した絵空事であるからこそ、麻疹のように人を苦しめる病魔種(こい)とは、困ったことに以前に患った宿主(ホスト)たちによって、何よりも素晴らしいものだともてはやされ、うっかり触れた次の感染者(ターゲット)へと延々と受け継がれる。
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