1人が本棚に入れています
本棚に追加
雨の中で佇んでいれば、雨を含んだ土を踏む靴の音――
肩越しに後ろを見れば、璃蓮の妻である雪華が傘も差さずに訪れていた。
彼女の髪は雨に濡れて顔を隠しており、その表情を見る事は出来ない。
彼女は璃蓮の後ろで立ち止まり、璃蓮の背中に凭れ掛かる様に額を押し当ててきた。
そこで初めて、彼女が僅かに震えている事に気付く。
「――雪華……」
名前を呼んでみたものの、今の彼女にどんな言葉をかければよいのだろう?
璃蓮が騎士団長として動いていた間も、雪華はずっとクラリスの傍に居た筈だ。
クラリスの命の灯火か消えるまで、ずっと――
不意に雨の音を掻き消す程の、赤子の泣き声が院内に響き渡る。
父と母を喪い孤独となった――今日生まれたばかりの小さな生命が、母の存在を求めて泣いている。
その声はあまりにも悲痛で、璃蓮は堪えきれず手を握り締める。
例え爪が手に食い込もうと、血が流れようと関係ない。
そんな事は、孤独な者にとって些細なことでしかないのだから……
「…………た…んだ……」
後ろでただ沈黙を保っていた雪華が、言葉を溢す。
「――あの子を助けてあげたかったッ!!
その腕に子供を、抱かせて……あげたかった――」
後ろを振り向けなかった、彼女の顔を正面から見る事が出来なかった。
ここまで感情を露にした彼女を、璃蓮は見たことが無かった。
声を震わせ、服を掴んでいる手の力が強まっている事に気付かずに、彼女はぽつりぽつりとではあるがあの場での事を話し始めた。
――医者から、クラリスはどんなベテランが診ても助からないと告げられた事
――お腹の子を助けるには帝王切開、つまりクラリスの腹を切るしか術が無かった事
雪華を姉のように慕っていたクラリス、雪華もまたクラリスを妹のように可愛がっていた。
そんな大切な妹が胸に銃弾を受け、瀕死の状態で運ばれてきたのだ。
にも関わらず、彼女の子供を助けるにはクラリスに新たな傷を付けなければならない……
一生癒える事の無い傷を――
お腹の子を見捨てるか、クラリスの身体に傷を付けるか……
それは、雪華にとって苦汁の決断だった。
最初のコメントを投稿しよう!