第2章 旅路の始まり

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山形のもとへ行く汽車が、こんなにも古くて、ダサくて、それでいて、鉄道ファンが垂涎ものの客車に乗れることを恥ずかしくも誇らしくも感じている。 決して『わざわざ』乗りに来るようなものでもない、あくまでもたまたま山形へいくためには、これに乗るしかないというどうしようもない感覚で。 だからわざわざ写真機を片手にやってくる鉄道ファンには、この汽車が馬鹿にされているようで、嫌なのだ。     * 真夏のプラットホームはなぜか陰気だ。  福島のプラットホームには、古い客車が真夏の陽を浴びても音ひとつなく静止している。  福島で東北新幹線をおりると、山形へは見捨てられたように、在来線に乗る羽目になる。 まだ、山形新幹線などというものはない時代。それでいて仙台や盛岡には新幹線が開通していた。この経済的格差はなんだろう。 新幹線の近代的なホームを降りて、奥羽本線のホームに向かうと、そこは現代から隔絶されたような、乗る人も、鉄道員にも、申し訳ない気持ちにさせる鈍(にび)色(いろ)のプラットホームが伸びている。  僕はは時刻表でわざわざ特急にのらず各駅停車(昔の人は鈍行(どんこう)といったものだ)で山形へ行くことにした。  それが「各駅停車でのんびり景色を楽しみたい」だとかいう軽薄な理由ではない。     
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