第1章

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 物心つく前から、父による激しすぎる剣の鍛錬は始まっていた。来る日も来る日も、父に突き飛ばされ、投げ倒され、薙ぎ払われる日々。庇ってくれる母も無い。そもそも自分は、父が斬った禍神(マガツカミ)の首から跳び散った血より産まれ出でたらしい。 「み…ず…」  まるで乞食(こつじき)のような声が出た。早朝からこの灼熱の中天まで、一滴の水も口にした覚えが無い。息子のあまりに憐れな声に、イツノヲハバリが流石に手を差し伸べようとしたとき、 「久しいな、イツノヲハバリよ」  遠くから彼を呼ぶ声が聞こえ―――父の気が変わった。 「井戸なら、ほれそこだ。潤いたくば己の足で歩け」  そして息子の未だ開けぬ瞼の裏の暗闇から、父神の足音が遠のいていく。それは妻を介して子を持たぬ、純粋に歪んだ父性による虐待だった。 「相変わらず…実の息子に厳しい事だな」 「いえ…。あ奴が不甲斐無いからで御座います。齢十を越して未だ己の神剣すら顕せられぬとは…。我が子ながら、太平の世しか知らぬ代四世とはかくも惰弱かと失望させられます。これでは、フツの連中に遅れをとるばかり…」  息子を捨て置いて、イツノヲハバリは館の殿上で自らの主を出迎えた。一礼してから下座に座る。座ってから、自分が主君に愚痴を漏らしてしまったことに気付く。 「失礼しました、タカギムスヒ様。御用とあれば、拙者から伺いましたものを…」 「いや…今日は、そなたに弟子を取らせようと思ってな、連れて参ったのだ」  上座の客人は、かしこまるイツノヲハバリを手で制しながら鷹揚に笑って見せた。彼にはイツノヲハバリのしゃちほこばった武人ぶりが好ましく、そして滑稽だった。  その客人―――タカギムスヒには、壮年という言葉がよく似合う。後ろに撫で付けた長髪も伸ばした顎鬚も黒々として精気に満ち、白髪交じりのイツノヲハバリの鬘(かずら)と好対照を成していた。 「弟子…ですと? しかしタカギムスヒ様が自らお連れになるとは…」  若干の驚きに丸い目をして、それからイツノヲハバリは急速に声を落とした。 「……葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の為の、備えでありましょうや…?」 「流石は代三世随一の武神、鼻が利くな」
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