第1章

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 タカギムスヒもまた相好を崩しつつ、上体を折ってイツノヲハバリに顔を近づける。既に代四世の神が産まれ、戦を知らぬ世代が育ちつつある今ですら、イツノヲハバリの嗅覚は生死をかけて異神との戦いに臨んだ鋭さと緊張とを保っている。共に戦場を駆けた代二世の神として、それは懐かしい感覚の共有だった。 「そう…かつて高天原に背き、地上に逃げ散った神々が建てた国は、すべからくオオクニヌシによって滅ぼされ―――地上は早晩、あ奴の葦原中国に統一されるだろう。だが…」 「…それでは、困ったことになりますな」  無表情に言葉を継ぐイツノヲハバリに、タカギムスヒは更に声を潜めて続ける。幾つかの重要な要素を、暗黙の了解に落とし込みながら。 「そうだ。オオクニヌシは大きな力を持ちすぎた。あ奴が地上に居るうちに、高天原の武威を以って葦原中国を平定するが得策。いずれは戦―――“国譲り”の戦が必要になる。それはアマテラスも同じ考えだ。……ところが、だ」  タカギムスヒは、そこでやや口調を改めた。皮肉めいて唇を歪める。 「アマテラスが高天原軍の将として地に攻め降ろさせるのは、どうやらあ奴の子…アメノオシホミミらしい。愚かなこと…。幸か不幸か最高神を母に持ち、甘えて育った御曹司が、仮にもあのスサノオすら封じたオオクニヌシに勝てるものか」 「左様でしょうな」  イツノヲハバリは半ば憮然として相槌を打つ。代三世神の中でも最高の武神とされた古兵(ふるつわもの)イツノヲハバリ。産まれながらの武神としては、先の異神との戦で負った古傷さえなくば、自ら今すぐ地上に降り、葦原中国を思う様蹂躙したい気分なのであろう。 「アマテラスは冷徹に見えて、あれで肉親の情には弱い女だ。この先何年も、同じ過ちを繰り返すだろう。―――その間に、私の息がかかった勇将が、お前の元で育つ。どうだ、悪くない策であろ?」  タカギムスヒは、ほくそ笑んで締めくくる。 「タカギムスヒ様の深慮と遠謀、イツノヲハバリ、感服いたしまして御座います」  律儀に深々と頭を垂れるイツノヲハバリのうなじを、タカギムスヒの豪胆な笑声が打った。 「ハ……我ながら胡乱(うろん)なことだがな。深慮も遠謀も、所詮はただの暇潰しに過ぎぬからこそだ。当て馬にされるオオクニヌシも気の毒なことよ」 「して…その弟子とやらは、何処に?」
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