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それは裏を返せば、岳弥には声を出す余裕が無いということだった。侍の一撃を喰らえば終わりだという事を理解しているのだろう。一方龍頭の武士は、いくら手数が多くとも、敵の攻撃は絶望的に軽い事を知っていた。一見岳弥が押しているように見えても、真に優位に立つのは龍頭の武士の方だった。そもそも岳弥の腹部からは、赤黒い血が未だ際限も無く噴き出している。
いつ果てるともない戦いの舞踏を両者は踏み続け、そして終わりは唐突にやって来た。龍頭の武士の一撃を一メートル近く跳び上がってかわした父の体勢が、着地した途端に崩れた。血を、失い過ぎていたのだ。
その隙を、敵が見逃すはずがなかった。
「お父さぁん…ッ!」
龍と父の影が交錯する。ザン…! と、むしろ低く静かな音が響いた。直後、父の体から袈裟懸けに血が噴き上がる。綺名はそれが何を意味するか、瞬時には理解出来なかった。
「前の勝負は互角だった。だがその体では、無謀だったな」
龍頭の武士はゆっくりと太刀を鞘に収めると、憐れむように岳弥へと向き直った。驚くべきことに、体を半ば切断されながらも、岳弥もまた振り返って龍へと体を向けた。血にまみれて、凄惨な笑みを浮かべながら。鬼気迫る父の様子に、綺名は悲鳴すら飲み込まれていくのを感じた。
「…何が可笑(おか)しい?」
武士が龍の口を怪訝に歪める。岳弥は、無言で震える指を龍の背後へと差し伸べた。龍がそれに導かれて視線を巡らすと、その瞳は一瞬で驚愕と侮蔑に染まった。
「『黒塚』が…!? 貴様、我との勝負を差し置いて、そのために時間を稼いだのか!?」
岳弥が指差す先、そして龍頭の武士の視線の先、市街地を越えた水無瀬市の海岸近くの一角がぽうっと緑色の光を放ち、しかもその光は、見る間に収束しつつあった。
「くっ…!」
龍頭の武士が、牙を噛み鳴らした。岳弥は苦しそうに息を吐きながら語りかける。
「…もう遅いのですよ、キェルトクゥラどの。そして無駄と知りながら、幼子を殺せる貴方ではないでしょう?」
キェルトクゥラと呼ばれた龍の武士は、苦々しい顔を岳弥に向けた。そして忌々しく視線をぶつけた後、唇を歪めて綺名を睨みつけた。綺名は既に恐怖を感じる心が麻痺している。
「…フン…奴に感謝しろ。次の機会までその命預けおく。我が神の名において…その命脈、大事に保て!」
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