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龍の武士はそう言い放つと、再び岳弥に一瞬だけ視線を送った。
「…お前はいつも勝ち逃げだ。だが、己の命を棄ててまで我をたばかったその心意気は認めよう。忌々しいが、挑発に載せられたとき、既に我は負けていた…ではな!」
不思議と清々しく言い捨てると重い甲冑をものともせずに跳躍する。遠くの沈みゆく緑光へと二、三度跳ねた後、やがて襲撃者は姿を消した。
「お父さん!!」
岳弥は、そいつの背が闇に消えるのを見届けると、糸が切れたように崩れ落ちた。 赤い霧を巻き上げて倒れ込む父を目の当りにして、やっと綺名の精神は通常に復し、そして同時に混乱の領域へと振り切られた。
「お父さん、お父さん! お父さん!!」
叫びながら倒れ伏す父に駆け寄り、小さな腕で必死になってその頭をかき抱いた。父は目を閉じて、血でべとつく顔にむしろ穏やかな表情を載せている。
「やだよ、お父さん…目を開けてよぉ…!」
理性が感情に締め上げられて悲鳴を上げる。涙はいつから流れ始めたのかも分からない。きつく閉じた瞳の奥で、恐怖と悲しみがない交ぜになったまま叫び続けた。
「……!」
と、視界を失った綺名の頬を優しく撫でるものがあった。ゆっくり目を開けると、父がこちらに瞳を向け、既に冷たくなりかけた指で彼女の頬に触れていた。
「お父さん…!」
綺名は、再び目を開く父にまみえることが出来て嬉しかった。けれどその喜びも、父の顔に浮かんだ不自然な困惑に打ち消された。父は頬から瞳へと綺名の涙を拭いながら、半ば呆然と呟いた。
「…違う…?」
「え…?」
脈絡の分からない父の言葉に、綺名は戸惑った。身を挺して守った実の娘を前にして、一体何が違うというのだろう?
岳弥は、綺名の困惑を無視して続けた。あるいは彼は、自分に時間が無いことを既に悟っていたのかも知れない。
「すみません……これ…を…」
震える手で差し出される、何か小さなもの。それは、瑪瑙色で鋭い三角形をした、何かの欠片だった。
「これ…は?」
綺名は訳も分からないままに、それを受け取った。涙がぽたぽたと落ちて、父の顔を滲ませている。これが父との最後の会話になることを、幼い彼女も理解してしまっていた。
「…これ…を……に…」
父の最後の言葉は、上手く聞き取れなかった。綺名が聞き返すより先に、父の手が両方とも地に落ち、その首から力が抜けた。
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「お父さん…」
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