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綺名は泣きはらした瞳を開けた。夢であることは分かっている。だが、だからと言って悲しくないはずも無かった。瞳をごしごしと拭きながら身を起こし、ベッドサイドの目覚まし時計を見ると、いつもより早めにセットされたそれは鐘を打ち鳴らす前だった。父亡き後の唯一の家族である母は、まだ眠っているだろう。昨日は残業で遅かったようだし、まだ寝かせておいてあげようと思う。けれど自分はもう支度をしなければ。
出番を待つ目覚まし時計のてっぺんのスイッチを押し込んで、その役目から解放する。ベッドから足を下ろすと、立てかけた姿見の前で制服に着替え始めた。
鏡に向かうとき、一瞬机に目を留める。机上には、母親から譲ってもらった外国語辞典をはじめ、言語関係の書物がうずたかく積まれている。そしてそれらに囲まれるようにして、一見場違いなほど古い和書が広げられていた。茶色く変色した和紙を絹紐で大和綴に閉じたそれは、明らかに数百年も前のものだろう。古文書と呼んだほうが正確かも知れない。
パジャマの前ボタンを外しながら、綺名は昨日の夜、その書を読み進められなかったことを悔やんだ。それは母の家に代々伝わっていたもので、綺名はここ暫くその解読に精を出していたのだ。
(でも昨晩は、それどころじゃなかったし…)
昨夜やっとの思いで家に辿り着いた綺名は、父の形見を取り落としている自分に気付いた。彼女は焦った。それは父が事切れる寸前に綺名にくれたもので、彼女はそれが父そのものであるかのように、ずっと大切にしていたのだ。
しかしそれを探すために、一度不穏な気配を感じた闇へともどる勇気は、彼女には無かった。悩んだ挙句、結局朝を待って登校の道すがら、形見を探すことにした。古文書に手をつける余裕も無く、不安な心から逃げるように、昨晩は早くに眠りに就いていた。
(だからかな、五年前の夢を観たのは…)
少女趣味のパジャマを脱ぎ終わって下着を着け、今度は制服のブラウスのボタンをとめながらぼんやりと考える。彼女の民話・伝承に対する特殊な興味は、五年前の悲劇に端を発していた。あの夜自分を襲った龍頭の武士。人魚の肉を喰らって不死となった武士の伝説。水無瀬の子供なら誰でも知っているお伽噺の中の登場人物。
もし自分を襲ったのが、それであるとすれば―――?
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