第1章

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 その一見無意味な行為が何かの伝承に根ざすのは明らかだ。しかし祭の一翼を担う崎子ですら、「何だか水難を避ける意味があるらしいんだけど、詳しい事は伝わってないんだ」と覚束ない。 (結局、大人たちの遊びに付き合わされてるだけ、か…)  今やこの祭は、街の人々が泥遊びにうち興じ、その後は打上げで宴を開くという、それだけのための行事に成り果てていた。もしかすると、これはそもそも特に由来や謂れを持たず、娯楽が少なく人々が苦しい生活を強いられていた遠い昔、日々の憂さを晴らすために始められた習俗なのかもしれない。そもそも、神社の宮司でも何でもない崎子の家が要の役を背負っているくらいなのだから。  ―――見つかるなら見つかるで、とっとと出てくれば良い。暗くなる前に帰りたい。  綺名は不機嫌を隠そうともせずに、再び腰を折って泥に乱暴に腕を突っ込んだ。正直、一刻も早く家に帰りたかった。今読み進めている―――と言うより解読している―――本の内容が気になって仕方ないからだ。  ちょっと顔を上げて土手を覗うと、大人ばかりで心細いと訴えた崎子は、祭壇のあんまんにパクつきながら、何やら上機嫌でおじさんたちと語らっている。もう一方の手にあるものは、どう見てもジュースには見えない。どうやら、見切り発車で大人たちの酒盛りが始まってしまったらしい。昔は何日でも鏡が見つかるまで祭が続けられたらしいが、最近は日没と共に捜索は打ち切られるようになっている。そしてここ数十年鏡が見つかったという記録はなく、既に太陽は西に大きく傾いていた。綺名は馬鹿馬鹿しくなってきた。 「!」  と、再び溜息を吐きかけた息が、呼吸ごと咽の奥で止まった。泥に突っ込んだ左の指先が、硬い平面に弾かれたからだ。 「な…に…?」  僅かに震えながら、泥の中で手を動かす。呟いたとき、既に綺名の指は丸く冷たい感触を捉えていた。しかし何故かその正体を知るのが億劫で、彼女はゆっくりと泥の中から腕に抱かれたものを上げていった。 「……!」  泥土から姿を現したのは、間違いなく鏡だった。形は歴史の教科書で見た銅鏡にそっくりで、しかし色も質感もくすんだ銅とは似ても似つかない。それは深い碧の……恐らくは翡翠を磨き上げた鏡。だがよほど古いものには違いがないらしく、その鏡面は端が鋭い三角形に欠けていた。  けれど綺名が息を飲んだのは、鏡の発見そのものにではなかった。
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