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よく見れば、男の人は隣のアパートに住む人だった。越田さんだ。先月の大雪の日に、アパートの前で立ち往生している車があった。ちょうど通りかかったぼくは、「ちょっと手伝ってくれんか」と呼びとめられた。それまで話したことも無かったのにだ。それが、越田さんだった。
牽引ロープを使ったり、スコップで雪をのけたりと、試行錯誤した。ようやく車がよろよろと脱出した時には、ハイタッチして喜び合った。
「裕希くんか。この間は大変やったな」
「すっかり、雪も消えましたね」
魔女のような黒ずくめの女店長が、万年筆を出してくれた。越田さんは手に取った。ふたを開けて、ペン先も見ている。
「思ったより重いな。こんな値打ちもん、安売りして、いわく付きか」
店長は目を細めて、すっと体を退いた。
「どっかの会社が倒産して、屋敷のもん売りに出したとか……」
店長が目を見開いた。
「何や、図星か。ふうん。よし、買うた!」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ぼくは手を伸ばして、待ったをかけた。
「お……おい!」
驚いた越田さんが、床に落とした。ぼくは慌てて、足下にころがってきた万年筆を拾った。なるほど、持ち重りするが、すっと吸い付くように、手になじむ。
「なら、じゃんけんや。最初はグー、じゃんけんポイ!」
習性とは、おそろしい。ぼくはつられて、パーを出していた。
「へい、俺の勝ちや!」
越田さんはチョキの手をそのまま上に掲げて、Ⅴサインにした。
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