収穫祭で一騒動です!②

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収穫祭で一騒動です!②

その頃、リクドウ・ランドバルドもまた、収穫祭の人混みの中にいた。  魔王との戦いの折に負傷した右膝は、今も尚、完治することなく、彼に杖を使うことを強いている。 「呆れたものですね、リクドウ様。人混みの中で杖をついて歩くのは、さぞ大変だろうと思ってついてきましたのに、なんですか、今のは」  リクドウの少し後ろで、そう言って嘆息したのは、リエーヌ・ユーエル・グリーヌ。  リクドウとエリナの二人だけだったランドバルド家に、最近やってきたメイドである。 「なんですかって、なにがだよ……」 「よろけてきた酔っ払いを、避けるどころか、軽く触れただけで体勢を立てなおさせたように見えました」 「ああ、そんなことか……。避けるより楽だし、避けてたらあのオヤジさん、すっ転んでたはずだからな。目の前でそうなったら、余計に面倒くさいじゃないか」  リエーヌはもう一度、ため息をついた。 「私の言い方が悪かったようです。普通の人間には、転がってきた酒樽を軽く手を触れただけで立たせるような真似はできない。と言う意味で申しあげました」  今度はリクドウがため息をつく番だった。  このメイドは、つい先日までブレナリア王宮でリルレイア姫のお付きをやっていたというのに、非常に口が悪い。  もっとも、そのリルレイア姫に対しても同じような口の聞き方ではあったが。 「穏便に済んだんだからいいじゃないか……」 「お言葉ですが、それでは私の介助のしようがないと申しているのです。できることなら、一から十まで、手取り足取り、上から下のお世話まで、すべて私がさせていただきたいと思っておりますのに」 「い、いやっ、家事だけでも充分に助かってるし、感謝してるから!」 「ご主人様の身の回りのお世話は、家事の範疇だと思いますが」 「ランドバルド家では、自分の身の回りのことは、なるべく自分で行うというのがルールになっているんだ! だから、大丈夫!」  慌てて言った言葉だったが、それはエリナに対して言ってきたものと変わらなかったので、嘘偽りは特にない。 「ランドバルド家のしきたり……ということであれば、メイドとしては従う他ありません。大変失礼いたしました」  リエーヌはペコリと頭をさげる。  その時、小さな歓声が沸きあがった。  祭りを楽しむ人々が、口々にその名を呼び、ある者は酒の入った杯を掲げる。  そんな人々に笑顔で応えつつ現れたのは、ノクトベル大聖堂の司教であり、魔王討伐の英雄の一人に数えられる『ブレナリアの聖女』、ロミリア・ユグ・テア・バージだった。  ロミリアは、周囲に集まる人たちに断りを入れて、リクドウたちの元にやってくる。 「あら、リクドウ。収穫祭は楽しんでる? フフフ、どうやらリエーヌとは、仲よくやれているようね」 「おかげさまでな。ロミリアも大人気みたいでなによりだ」  リクドウはそう応え、リエーヌは頭をさげてリクドウの後ろに一歩下がった。 「こっちこそ、おかげさまでね。ここのところを騒ぎをリクドウやエリナたちがどうにかしてくれなかったら、収穫祭自体ちゃんと行えていたか怪しいものだわ」  それらの“騒ぎ”には当然、ロミリアも尽力しており、リクドウとしては、彼女がいなければどうなっていたかわからないとも思っていたが、そこまでは言わず、ただ苦笑して肩をすくめるのみに留めた。 「リエーヌの方はどう? エリナはちゃんといい子にしているかしら?」 「……率直な感想を申しあげてもよろしいでしょうか?」 「ええ、もちろん」 「では、僭越ではありますが」  もったいぶるリエーヌに、なにを言われるのかとリクドウは内心ビクついた。  魔王を打ち倒した勇者と言えど、愛する娘が自分以外の人間から、どう評価されているかを聞くのには、少々勇気が必要だった。 「ちゃんといい子にしているもなにも、エリナ様は、務めていい子にする必要がないくらい根っからのいい子で、大変かわいらしく、ちょっと悪戯なところはありますが、悪戯すぎるわけではなく、これだと決めた目標に対しては実に真剣ですが、決して真面目すぎるわけではなく、喜怒哀楽を大きく見せるも、その判断には感情よりも理性を用い、かと思えば、思慮深さよりも、即時の実行を重んじる機敏さがあり、それらの行動の規範には、リクドウ様の教えと思われる確固たる信念があると感じられました。いっそのことリルレイア姫殿下と取り替えてしまった方がブレナリアの行く末は明るいのではないかと思いもしましたが、惜しむらくは座学での学びごとにおける集中力のなさはリルレイア姫殿下をも越えるもので、これはテーブルマナーなどの貴族社会では必須と言える知識や技能を修得できない可能性を示唆しており、その辺りをしっかりと学んできている者たちの嘲笑の対象となりかねないので、今後改善の方策を練っていく必要があるかと思われます」 「長いよ! あとなんか、僭越にしてもほどがあること言ってなかったか!?」  思わずツッコんでしまったリクドウに、リエーヌは表情を変えないまま、ほんの少しだけ頬を赤らめさせた。  どうやら、リクドウのツッコミが嬉しかったらしい。 「ま、まあ、でも、エリナのことをすごくよく見てくれてるんだなとは思ったよ」 「いえ、私はランドバルド家のメイドですので。お嬢様のことを誰よりも詳しく知るのは当然のことです。もちろん、旦那様であるリクドウ様のことも、それ以上に詳しく存じあげております。エリナ様と同様に率直な感想を申しあげましょうか?」  そんなリエーヌに、リクドウは顔を青ざめさせる。 「な、なんか怖いからやめておきます……」 「差し出がましいことを申しあげました。ご容赦くださいませ」 「フフフフフ、よかったわ。思っていた以上に仲よくやれているみたい」  そう言って笑っていたロミリアの表情が、唐突に真顔になった。  同時に、リクドウも、そして、リエーヌまでもが険しい顔をする。 「――なにか今、邪な気配を感じたわ。それもかなり強力な……」 「俺も感じた。ただの魔物じゃないな。この感じは確か、どこかで……」 「ぬかりました。すでに感知を妨害する結界が作動しているようです」         ◇ ◇ ◇ 「エリナ、敵意を感じるわ。気をつけて」  カナーンは背中の大剣を引き抜きつつ、一歩前に出る。 「わたしにもわかる。なんかあの人ぞわっとする……。フランは下がってて」  エリナもダガーを引き抜きつつ、フランの前に出た。 「ありがとう、エリナ。それと二人とも、魔法に注意して。私たち、いつの間にか、他のお客さんたちから引き離されちゃってたみたい。たぶんそういう魔法なんだと思う」  フランも胸元から水が属のシンボルが刻まれたメダルを取り出しつつ、二人に注意を促した。  確かに、他の観客たちと一緒に演劇の天幕から出てきたばかりのはずだったのに、三人はいつの間にか、北の広場のさらに北、街外れの方まで来てしまっていた。  知らない内に魔法によって誘導されていたということなのだろうか。 「ごめんなさい。私が気づくべきだったのに」 「カナちゃん、そういうのは後!」 「私もそう思う。あの人……なんか、すごく怖い……」  そして、そんな三人を見て、仮面の人物は実に愉快そうな声をあげる。 「ほう! ほうほうほうほう! 子供にしてはなかなかの反応です! 興味深い! 実に興味深いですよ! せっかくですから、少し遊んでみることにいたしましょうか!」  仮面によってくぐもって聞こえるからか、その声からは男か女かもよくわからなかった。  ただ、エリナたちを「子供にしては」と形容するわりには、この仮面の人物もエリナたちより、若干背が高い程度に見える。一六〇サンクトはないだろう。  わかるのはその程度。派手な色合いのだぶついた服は、そいつの体型をも覆い隠していた。  そして、そのだぶついた袖口からニョキリと手が出てきて、なにかを捧げもつように前に差し出される。  ご丁寧に、その手も白い手袋に包まれていた。 「では」  突然、その手のひらの上に、ボッと音を立てて、こぶし大の火の玉が浮かび上がる。 「炎の魔法!?」 「そーら、行きますよ!」  そしてそいつは、それをエリナ目がけて投げつけてきた。 「ハァッ!」  だが、そこにカナーンが割って入り、飛んできた火の玉を斬って落とす。 「すごい! ありがと、カナちゃん!」 「これくらいなんでもないわ!」  緊迫した状況であるにもかかわらず、エリナに褒められると口元に笑みが浮かびそうになってしまうカナーンである。 「ホホホ、これはお美事! では、これならばどうでしょうか!」  再びその手のひらの上に浮かび上がる火の玉。  だが、そいつはもう一方の手のひらの上にも、同じような火の玉を浮かび上がらせた。 「火の玉が二つ!?」 「いえいえ。一つが駄目なら二つ。そんな単純なことでは面白くもないでしょう。さぁさぁ、皆様お立ち会い!」  そいつは右手の火の玉を軽く上に放ると、左手の火の玉を右手に渡す。  右手に渡った火の玉はまた軽く上に放られ、その間に落下してきた火の玉は左手で受けとめられ、また右手に渡された。 「え? 火の玉、増えてない……?」  そんな火の玉のジャグリングに目を見開いてエリナが言った。  三つ、四つ、五つ――。  それらは宙を周回する度に一つずつ増えているように見えた。 「それでは、参りますよ!」  そいつはジャグリングを続けつつ、その火の玉の一つを、またエリナ目がけて投げつけてきた。 「ハァッ!」  そして、それもまたカナーンが斬り落とす。  だが、その時には第二、第三の火の玉が、さらに投げつけられていた。 「カナちゃん!」 「大丈夫! 任せて!」  一つ目の火の玉を斬り落としたカナーンの大剣は、それだけで動きを止めてはいなかった。  その切っ先が円を描き、第二、第三の火の玉をも斬って落とす。 「ホホホ、これは素晴らしい! さすがは『銀色の月』の養い子といったところでしょうか。では、今度はこうしてみましょう!」  今度の火の玉は、直接カナーン目がけて投げつけられた。  当然それだけではない。  エリナと、そして、フランにも、同時に火の玉が投げつけられる。 「くっ、これじゃあ――」  自分に投げつけられた火の玉を斬り捨てつつ、カナーンはエリナとフランに向かった火の玉にも対処しようとしたが、さすがにそれは無理だった。  だが。 「慈愛と癒しの神リデルアムウァよ! 泉の聖霊ナイアスよ! 私たちに御身の加護と祝福を与えたまえ! ホーリー・プロテクション!」  フランの聖句と同時に二つの火の玉が爆発を起こす。 「わわっ!」 「きゃあっ!」  エリナとフランの声にカナーンは一瞬焦りを見せたが、すぐにホッと胸を撫でおろした。  ブンブンと腕を振って爆煙を散らすエリナ姿がすぐに見えたからだ。 「ちょっと熱かったけど、これくらいなら全然平気! フラン、ありがと!」 「よかった。水の神様のご加護だったから、火には強かったみたい」  フランもそう言ってから、ケホケホと小さくむせる。 「これはこれは。そちらは神聖魔法の使い手でしたか。なかなかどうして。いいお友達をお持ちでいらっしゃる。ですが『魔王の娘』、あなたご自身はいったいどうなんです? そのお力を少しは見せていただきたいものですねぇ」  仮面の人物は相変わらずいくつもの火の玉をジャグリングしながら、そう言って笑った。 「ハァッ!」  だがそこに、一瞬で間合いを詰めたカナーンが大剣の一撃を振りおろす。 「うぉっと! これは危ない」 「エリナがなにかする必要なんてないわ! フランの加護もあるし、後は私一人で充分よ!」  そう言いつつ、カナーンはさらなる一撃を振りおろした。 「ホホホ、勇ましくてなによりですが――」  仮面の人物はその鋭い一撃を、火の玉をジャグリングしながら軽く後ろにジャンプして躱すと、そのままフワリと宙に浮かび上がる。 「こうしてしまえば、ご自慢のその大きな剣も届きはしないのでは?」  その高さはおおよそ五メルトほどだろうか。  確かにカナーンの大剣でも届きはしないが、相手の方はいくらでも火の玉を投げつけることができる。 「くっ、これじゃあ……」 「大丈夫だよ、カナちゃん! フランの魔法があれば、あんな火の玉、全然怖くないから!」  歯噛みするカナーンをエリナが元気づける。  だが、そんなエリナのフォローは仮面の人物によって一笑に付された。 「ええ、ええ。先ほどの威力ならばそうなるでしょう。ですが、こちらをご覧ください!」  宙を舞う火の玉が、今度は徐々に徐々に大きくなっていくのが見えた。  先ほどまではこぶし大だった火の玉が、すでに人の頭ほどの大きさになっており、その大きさはさらに増していっている。 「この火球は、大きくなればなるほど、その威力も効果を及ぼす範囲も大きくなります。おやおや、これはちょうどいいですね。そろそろ演劇の次の公演がはじまるようです。続々と人が集まって参りました。この火球をあそこに放りこんでみましょうか!」 「「「なっ!?」」」  その言葉に、エリナたちは言葉を失った。  この仮面の人物から悪意的なものがあるのは、はじめから勘づいていた。  だが、エリナも、フランも、カナーンも、それは『魔王の娘』であるエリナとその仲間に向けられているものだと思っていた。  なにも関係のない人たちが、唐突にその悪意に巻き込まれる。  その事実に、その悪意に、エリナの背筋に悪寒が走った。 「ふぅぅ…………」 「おやおや、もしかして諦めてしまったのですか? では、遠慮なく、この収穫祭を阿鼻叫喚の地獄絵図に変えてご覧に入れましょう!」 「エリナ……? あ」  低く息を吐き出しているエリナの様子を見て、フランは一瞬で気がついた。  エリナは今、精神を集中させている。  精神を集中させ、イメージの世界に没入し、魔力を紡いで、今、必要とされる魔法を作り出そうとしていた。  それに呼応するかのように、エリナの周囲に無数の魔法陣が現れ、その顔や四肢に紋様が浮かび上がる。 「エリナ! それは!」  カナーンの制止の声に、エリナは小さく笑った。 「今は、あいつをとめないと」 「ホホゥ! それがあなたの力ですか! さあ見せてください! さもないと、この火球を投げてしまいますよ? いえ、むしろそうしてしまってからの方が、本気を出してくれるかもしれませんねぇ!」 「させない!」  風……風の精霊シルフィード……。  わたしを運んで。ペトラを助けたときのように、疾風よりも速く。  わたしを飛ばせて。宙に浮かぶあいつを止められるように。  そして、エリナは宙を翔るように飛びあがる。 「残念! それでは間に合いませんねぇっ!」  すでに酒樽ほどの大きさになっていた火の玉が、仮面の人物の手から放り投げられた。 「間に合う! 絶対に間に合わせる!」  水の精霊ウンディーネ。  あの火の玉を止めて。燃え盛る炎を、あなたの水で消し去って。  エリナは空中で向きを変え、放たれた火の玉目がけて、手をかざした。 「水の矢よ!」  エリナを取り巻く強大な魔力が渦を巻き、『水の矢』というにはあまりにも大きすぎる『水流の槍』が形作られ、そして、放たれる。  それは狙い過たずに火の玉を貫き、空中で大きな爆発を起こした。 「今のはウォーター・ボルトですか!? なんと強力な――ハッ!? 『魔王の娘』は……」  仮面の人物がその爆発に目を奪われた隙を突いて、エリナはさらにもう一段上空に駆けあがっていた。  そして、間髪を入れずに重力に任せて上からそいつを蹴り落とす! 「天罰キーック!」 「ぐぁっ!?」  エリナの蹴りごと地面に叩き落とされる仮面の人物。  その落下が予想より激しかったのか、エリナも着地に失敗して地面を転がった。 「あたたたた……。ちょっと失敗……」  カナーンとフランもその落下地点にすぐに駆けつける。  カナーンは仮面の人物に剣を差し向け、フランはエリナを抱え起こした。  だが、エリナはフランにお礼を言うより先に叫んだ。 「カナちゃん、気をつけて! そいつたぶん人間じゃない!」 「え!?」  その警告が逆にカナーンに一瞬の隙を作ってしまった。  倒れていたはずのそいつは、その一瞬の間に立ちあがり、同時にカナーンに強烈な蹴りを叩きこむ。 「ぐふっ!?」  カナーンは一メルトほど蹴り飛ばされたが、なんとか転ばずに踏みとどまった。  そして、そいつを睨みつけて、目を瞠る。  エリナもフランも同じように、ギョッと目を見開いていた。  落下の衝撃のせいだろう。  顔に着けていた仮面はすでに外れており、目深に被っていたフードも後ろに跳ねあがって、その顔がはっきり見えてしまっていた。  否。  顔というよりも、顔の部分と言うべきだろうか。  そこに顔はなかった。あるのはつるつるの表面のみ。目も口も鼻もなく、木目のような模様が辛うじて見えるだけだ。 「いやいや、驚きました。こちらの想像以上です」  口のない顔が、これまでと変わらない調子で話す。 「な、なに? なんなの、この人……」  その恐ろしい光景に、フランが震えた。 「たぶんだけど、身体を蹴った時の感じからして……木製の人形、みたいなヤツ……?」  エリナも自分でそう言ってから、ブルルと小さく震える。 「木製のゴーレムということ……? でも、こんなゴーレムは……」  カナーンも自らの経験や、養母であるルナルラーサから聞いた話から、その正体を類推しようとしたが、疑問ばかりが浮き彫りになってしまった。 「おやおや。そのように怯えてどうしました、お嬢さん方? 仮面もこの木製の顔も同じようなものでしょう? そんなことより、この遊びをもっと続けましょうよ。どうやら、こちらも本気になって暴れてしまっても問題なさそうですからねぇ!」  そいつは、そう言ってまた宙に浮かび上がると、再び火の玉を浮かび上がらせ、ジャグリングしはじめる。 「本気とか言うわりには、やってることが変わらないじゃない」  エリナとフランに比べて怯えていないカナーンが悪態をついた。 「それはまたずいぶんと気が早い。そら、よくご覧なさい」  先ほどのように火の玉は大きくはなっていなかったが、その代わりにどんどん速度が上がっており、火の玉というよりはもはや、完全に火の輪ができあがっていた。  事実、それは火の輪であり、そいつはジャグリングしていたそれを、自分の頭の上で大きく回しはじめた。 「この火の輪は、先ほどまでの火球とは、根本的に異なっておりましてね、こちらは結界魔法の一種になるんですよ。この円の内側の空間が問答無用で焦土と化す、そんな結界になっております」  そう言っている内に、上空の火の輪は、加速度的に大きくなり、すっかり暮れていた空を照らし出す。 「さあ、どうなさいます? どんなに大きな魔力があっても、先ほどのように水の魔法で打ち消すことはできませんよ? 同じ結界魔法の一種である、そちらの神聖魔法の効果は一応ないではありませんが、威力は先ほどの数十倍。そのご加護とやらで、どの程度軽減できますでしょうか、実に楽しみでございますねぇ!」  その挑発に、エリナが再び飛ぼうと意識を集中させはじめた、その時だった。  ジュゥっ! という音がして、北の広場一帯を覆うとしていた火の輪が消滅した。 「なんですと? 私のインフェルナル・サークルが……」  その焦りの言葉とは対照的に、フランはホッと胸を撫でおろす。 「今、ものすごく温かな慈愛の祈りに包まれたのを感じたわ」 「あ、じゃあ!」  すぐになんのことか気がつき、エリナも顔を明るくした。  そして、南の空から羽音がして、コルがエリナの肩に舞い降りる。 「ちゃんと呼んできてくれたのね? お疲れさま、コル!」  エリナのねぎらいにコルはキィッと鳴いて、頬ずりした。 「ほ、ホホホホホホホホ! なるほど、なるほど! すでに救援を呼んでいたということでしたか! その鳥がどうやって結界を抜けたのかは疑問ですが、そちらにいるのは魔王討伐の勇者と聖女! なにがあってもおかしなことはありますまい! 私もこれにて退場させていただくといたしましょう!」  しゃべる木製人形は、空中でエリナたちに背を向ける。  だが、そこにはすでにもう一人の人影があった。 「その判断は少し遅かったな」 「ハッ!?」  人影は、手にしていた杖を無造作に一振りして、しゃべる木製人形を打ちすえた。  そんな動作からは想像できないほどの勢いで、強烈に地面に打ちつけられる木製人形。  その衝撃で、顔のない頭部が身体からもげて転がった。 「りっくん!」 「大丈夫か、エリナ!」 「うん、わたしは全然大丈夫! あ、カナちゃんがお腹蹴られちゃってたから、ちょっと心配」 「そうだった。ごめんね、カナちゃん。すぐに治癒の魔法を――」 「だ、大丈夫だから。あれくらいなんともないわ」  そんな三人の様子を見て、リクドウはホッとした表情で地上に降りたつ。 「っていうかりっくん! 空なんて飛べたの!? やっぱり魔法!?」 「魔法だけど、俺の魔法じゃない」  リクドウが苦笑して、小さく振り返ると、そこにはいつの間にかメイド姿の女性がいて、ぺこりと頭をさげた。 「リエーヌさん、すごい! 自分以外の人も飛ばせたりできちゃうんだ!?」 「恐縮です」  エリナの素直な賞賛に、満更でもない顔で応えるリエーヌ。 「しかし、今の炎の魔法や結界もこいつが?」  リクドウの言葉にエリナたちはうなずく。 「リクドウ先生、木製のゴーレムとは戦ったことがありますけど、こんな風にしゃべったり、魔法を操るような感じではありませんでした。なんなんですか、これ……」  と、カナーン。 「考えたくはないが、そうとしか考えられないな。こいつは――」 「ホホホホホホホホ! 覚えていていただけたようでなによりですよ、勇者殿」  リクドウの声を遮って聞こえてきた笑い声。  それは身体から千切れて転がった、木製の頭部から聞こえてきていた。 「やはりおまえか、『人形使い』。おまえを復活させたヤツがいるということだな?」 「はてさて、その辺りは守秘義務となっておりますので、肯定も否定もできませんねぇ」 「よく言うな。守秘義務があるということは契約主がいるということだ。それを俺に知らせてどうする気だ?」 「おやおや、これは失礼。ただの失言でございますよ。なんの目論見もございません。今回のことも、『魔王の娘』なる存在の噂を耳にして、是非この目で確かめてみたいと思ったまで。ですが、まさかそれが、このような存在だったとは! やはりあの魔王は抜け目がありませんね! このガビーロール、実に感服いたしましたよ!」 「このような存在だと? おい、エリナの力についてなにか知ってるのか!?」 「ホホホホホホホホ! いやはや、これは愉快だ! もし知りたければ、貴方自ら私の元に赴き、額を地面にこすりつけて懇願してみることをお薦めいたしますよ! それでは今日のところはこの辺で。勇者殿の無様な姿を拝めることを心待ちにしておりますよ。ホホホホホホホホ!」 「おい! ふざけるな、『人形使い』! おい!」  だが、リクドウがいくら叫んでも、もうその頭部からの返答はなかった。 「この人形を動かしていたと思われる魔力の流れが断たれました。これはもう、ただの人形です」  リエーヌが淡々と報告し、リクドウは嘆息してこうべを垂れる。  そんなリクドウにエリナがおずおずと尋ねた。 「え、えっと、それでりっくん……。こいつ、なんだったの? りっくんの昔の知り合い?」 「……知り合いといえば知り合いだが、まあ、敵として、だ」 「りっくんの、敵……」  エリナはこれまでに、リクドウの口から『敵』に該当するような言葉を聞いたことがなかった。  リクドウが魔王討伐の勇者であろうことを知ったのも、つい最近の話である。  リクドウはエリナに武勇伝を語ったりはしてこなかったのだ。 「こいつは、『人形使い』の二つ名で怖れられた、魔王軍の幹部だよ」 「魔王軍の幹部!?」  その驚きの声はカナーンだった。 「魔王軍の幹部……『人形使い』……ガビーロール……。そ、それって、もしかして……魔王が召喚したっていう、八柱の魔神の一柱なんじゃ……」 「ま、まじん……? 魔神って、悪魔の中でも神様みたいに崇められてる悪魔の中の悪魔みたいなヤツだっけ……?」  エリナが顔を顰めてフランの方を見、フランも顔を青ざめさせて「た、たぶん」とだけ小さく答える。 「そうだ。魔神ガビーロール。その八体の魔神の中でも、一際厄介な魔神だ。まさか、あんなヤツが復活しているとは……」  そう言って頭を掻くリクドウに、エリナたちもただただ困惑の表情を浮かべる以外なかった。
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