離れ離れは寂しいです!①

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離れ離れは寂しいです!①

 エリナは自分の家の食堂に、たくさんの人が並んで座っているのを不思議な面持ちで眺めていた。  ランドバルド邸は、こう見えても貴族の屋敷だった建物である。  その食堂は、リクドウとエリナの二人だけで使うにはあまりにも広く、いつもは長机の端の方しか使っていなかった。  それが、今夜はどうだろう。  親友のフランとカナーンはもちろん、カナーンの養母であるルナルラーサ、ノクトベル聖学院の学院長ロミリア、それに加え、エリナが幼い頃から時折その様子を見に遊びに来てくれたハーフエルフのレイアーナまでもが、その席に着いている。  そして、この突然の晩餐にも拘わらず、まるであらかじめ用意されていたかのように食事を用意していくメイドのリエーヌもいる。  カナーンの養母であるルナルラーサだけが、エリナに思うところがありそうだったが、それ以外はみんな、エリナのことを好きでいてくれて、エリナもまた大好きな人たちだ。  これで会話の内容が和やかなものならよかったのだろうが、残念ながらそうではない。  エリナは、この喜ぶべき状況にも拘わらず喜ぶに喜べない、微妙な居心地の悪さを感じていた。 「八柱の魔神将の一柱、『人形使い』ガビーロールかぁ……なるほどねぇ」  レイアーナが何やら意味ありげな苦笑を漏らす。 「繋がってしまったわね……」  その苦笑に重い相づちを打つルナルラーサ。  ルナルラーサとレイアーナの二人は、サビオ連山にある地下迷宮の調査から戻ってきたところだった。  調査の主たる目的は、一ヶ月前にノクトベルを襲撃した魔王軍の残党が、そこを根城にしていたのではないかという確認だった。  場合によっては、さらなる魔王軍の残党や新たな魔物といった脅威が潜んでいる可能性もあったからだ。 「サビオ連山の迷宮で見つかった『転送門』は破壊されていたけど、それ以前は定期的に使われていたんじゃないかっていう痕跡があったのよ」 「それも、多くの魔物が揃っての移動……つまり、組織だった軍事行動をしていた可能性が高くてね。まあ、ジントロルがその陣頭指揮を執ってた可能性もなくはないんだけど、ちょっと状況的に考えると違うんじゃないかって思ってね」  ルナルラーサとレイアーナによる報告に、リクドウがさらなる説明を促す。 「というと?」 「迷宮内の残留物や痕から考えると、元々サビオ連山に巣くっていた組と他からやってきた組がいるっぽいのよ。そしてそれは、『転送門』からやってきたって考えられるわけ。で、くだんのジントロルは他のトロールと一緒に元々サビオ連山にいた組になりそうなのよ」 「とすると、そうか。つまり、サビオのジントロルは『転送門』の向こうからやって来た何者かに従ったってことになるのか……。そして、その何者かがガビーロールであると?」 「残留物の中に、破壊された木製の等身大人形があったんだよね。ウッド・ゴーレムとして作られた感じでもなかったし、そこにあるのがあまりにも不自然だったから、ルナと『どっかの人形使いとかじゃなきゃいいねぇ』なんて話してて……」 「それで今回の事件に繋がってしまうわけね……」  ロミリアも沈鬱な顔でため息をついた。 「わかる?」 「うーん、なんとなくは」 「今は黙って聞いてましょう?」  ヒソヒソと話しているのは、もちろんエリナたちである。 「その、転送門を破壊したのはどういう目的なんだ?」 「それはガビーロールじゃないと思うよ。むしろ、その転送門を使った連携を嫌がった誰かさんがやったんだと思う」 「誰かさん?」  きょとんとしてリクドウが聞くと、今まで説明していたレイアーナではなく、ルナルラーサが嫌そうな顔で口を開いた。 「地下迷宮を追い出されたジントロルたちが、リクドウやロミリアのいるノクトベルを襲うだろうってわかってて、あえてそういうことをするヤツよ。証拠はまったくないけど、まったくなかったからこそ、私は絶対にアイツだと思うわ」  ルナルラーサにギンッと睨みつけられて、リクドウは一瞬ポカンとしてからうんうんと頷く。 「そうか……サイオウが……」 「ったく、なに嬉しそうにしてるのよ。アイツのせいでノクトベルは襲われたってことになるのよ? わかってるの?」 「と、ルナちゃんは言っておりますが、今のところまったくの類推です。とんだとばっちりである可能性も充分に高いです」 「ぐぬっ……」 「にゅふ」  ツッコまれて睨みつけるルナルラーサをレイアーナが小さく笑って躱した。 「フン。まあ、そうだったとしても、もう一ヶ月以上前の話って事になるから、今どこにいるかは知ったことじゃないけどね」 「もちろんだ。それより今はガビーロールの居所の方が問題だろう」  リクドウは嬉しそうな顔などしたつもりはないとばかりに、キリリと表情を作り直す。 「その破壊された転送門は修復はできないのか? どこに転送されていたのかだけでもわかればいいんだが」 「それもだいたいわかってるよ?」  レイアーナはさらりと答えた。 「壊れた転送門の方から情報を調べるのは難しいけど、魔物たちの痕跡は嘘つかないからね。サビオにある物とない物とかを調べればだいたいの見当はつく。ズバリ、その先は『フラガナンナの大迷宮』とわたしは見てる」 「『フラガナンナの大迷宮』……? あ、いや、フラガナンナって名前は聞いたことがあるな。どこかの大きな山の名前だったっけ?」  リクドウのその疑問にロミリアが頷く。 「そうね。フラガナンナは大陸でも有数の高さを誇る火山よ。ちょうどノクトベル大聖堂が作られた百年ほど前に噴火を起こした記録が残っているわ」 「そうそう。そんなところにまだ知られてなかった大迷宮があったって言って、発見当初、冒険者界隈では結構有名になったんだよね。でも、予想を超える広大さだった上に、あんまりめぼしい財宝なんかが見つからなくて、話題自体が下火になってたところに、フラガナンナがある『ヨーク・エルナ共和国』って国が政情不安定でちょこちょこ内戦を繰り返すようなとこになっちゃってさ」 「魔王軍の残党が身を潜めるには格好の場所になっていたということか……」 「最悪、その内戦自体もガビーロールが裏で操ってるなんて可能性も考えられるわ。正直に言って、そんな国に行くのはお薦めしないわね」  そんなルナルラーサの言葉に、エリナはハッとしてリクドウを見た。 「だが、行かないわけにはいかないだろう」 「りっくん!?」 「ガビーロールはエリナのことを知りたければ、自分の元に来いと俺に言った。たとえそれが罠だったとしても、俺は行かなくちゃいけない」  エリナは立ちあがって言う。 「りっくんが行くならわたしも行くよ!」 「エリナはダメだ。危険過ぎる」 「だってわたしのことでしょ!? わたしのことをあいつに聞きに行くって話じゃない!」 「それは、ガビーロールが知っていることが、エリナの生活を脅かす可能性があるからだ。おまえが今後も平和に暮らしていけるなら、その秘密の事なんて知らなくたっていい」 「でも……」  リクドウにしては珍しい怒ったような物言いに、エリナも思わず口ごもる。  エリナの途切れた言葉は、ロミリアが継いだ。 「でも、ガビーロールは策士よ? その誘いは、リクドウとエリナを引き離すためかもしれないわ」 「はーい」  場の緊張感など関係ないとばかりの声でレイアーナが手を挙げる。 「リクドウがどうしてもガビーロールの誘いに乗るっていうなら、ルナ、あなたが一緒についていってあげなさいな」 「はい? どうしてそういうことになるのよ?」 「いやぁ、さすがの『名も無き勇者』リクドウさんでも、一人で内戦激しい国に赴いて、魔神と相対してくるってのは無理筋でしょ? だから、ルナがついていってあげてって話。ルナは魔王軍の残党を狩るために傭兵やってるんだから問題ないでしょうが。そんで、ロミリアにはこのままノクトベル全体を護っててもらうとして、エリナにはわたしがついててあげるってわけ。どう?」 「レイアーナ、アンタ――」  茶目っ気たっぷりに言うレイアーナに反論しようとしたルナルラーサだったが、それより先に彼女の養女が立ちあがった。 「エリナには私が――いえ、私たちがついていますから大丈夫です!」 「う、うん。ああいうのはやっぱり怖いけど、エリナのためなら……」 「カナちゃん……フラン……」  三人は見つめ合い、そして小さく微笑む。  カナーンは視線を戻して続けた。 「ルナはもちろん、リクドウ先生も強いことはわかっていますが、聞いていた状況だと、それでも二人という人数では心配です。レイアーナさんもルナたちと一緒に行ってもらうわけにはいきませんか?」 「ほむ」  その発言に感心して頷くレイアーナ。  カナーンの方は馬鹿にされたように感じたのか、ちょっとムッとしてレイアーナを睨みつけたままさらに続ける。 「それに、ガビーロールは強力な魔法の使い手でした。私はルナが魔法使いに圧倒するところを何度も見てきていますが、それでも相手は魔神です。リクドウ先生だって魔法の授業こそは受け持っていますが、基本的には剣士のはずですよね? 剣士二人で相対するには難のある敵なんじゃないかと思います」 「うんうん、さっすがルナの娘だねぇ。感心感心」 「アンタ、そういう言い方ばっかしてるから、カナーンに睨まれっぱなしなのわかってる?」 「えっ!? それもルナの娘だからだと思ってた! ルナもいつもこんな風に睨んできたなぁって思って。あ、今もか」 「アンタがいつも人のことをおちょくってくるからでしょう!?」 「おかしい。かわいがってるだけなのに……」  ロミリアが二回ほど手を叩いて言った。 「はいはい、そこまでよ。レイアーナもルナルラーサも、もういい大人なんだから時と場合をわきまえてちょうだい」 「私までレイアーナと一緒にされるわけ!?」 「ルナルラーサ」 「くっ……」  ロミリアの窘めに、ルナルラーサは歯噛みして口をつぐむ。 「えーっとそう、魔法の話だっけ?」  一方のレイアーナは、悪びれもなくカナーンの出してきた議題に戻してきた。 「そういうことなら、そこにいるリエーヌだね。わたしは実際には見てないけど、リエーヌ、ブレナリアの『新世代筆頭魔術師』とか評価されてるんでしょ?」  一同の視線を受けて、リクドウの後ろで控えていたリエーヌがぺこりと頭を下げる。 「お戯れを、レイアーナお姉様。私はランドバルド家のメイドです。主であるリクドウ様からのご命令があるのならその様にいたしますが、そうでない限りは、私はメイドとしてこの家を護る心づもりです」 「そっかぁ……。なかなか面白いパーティになると思ったんだけどねぇ」  その拒否の言葉にレイアーナは首を捻ったが、その場にいた面々は少し違う事で首を捻り眉根を寄せていた。 「……あのー、今、リエーヌさん、『レイアーナお姉様』って言った? も、もしかして、姉妹だったの?」  疑問の声をあげるエリナに、当の二人以外の全員がその疑問に同意して頷く。  繊細な輪郭に面影がない事もないが、似ていると言えるのはそれくらい。  なによりエルフの血が半分混じっているレイアーナの方が、リエーヌよりも幾分歳下に見える。 「リエーヌとは姉妹じゃなくて、従姉妹だよ? 歳も全然離れちゃってるけどね。リクドウにはこの前、紹介したじゃない。覚えてない? もしかして、知らないでメイドにしてたの?」 「この前っていつの話だよ……。そもそもリエーヌは王宮からの指示でうちのメイドをやってるだけで、俺が雇ったわけじゃない」 「あ、そうなんだ? えーっと、ほら、魔王の城に乗りこむ前にブレナリアの王宮に何日かいたじゃない? あの時だったと思うんだけど」 「十二年以上前ってことじゃないか! なにがこの前なんだよ!」 「ねー。リエーヌなんてついこの前までエリナよりもちっちゃかったのに、こんなに大きくなっちゃって」 「ねーじゃないし……。それにしてもそうか、俺の事は幼少の頃に王宮で見かけたって聞いてたが、それのことか……」 「お恥ずかしい限りですが、それが私の初恋の思い出でございます」  そう言ってリエーヌはぺこりと頭を下げた。 「……!」  聞き捨てならない単語が耳に入って、ルナルラーサがその下げられた頭を凝視していたが、それはレイアーナとロミリアの失笑を買っただけだった。 「その辺の話はまた和やかな時にでも聞くとして……相手はガビーロールだ。俺としてはなるべく人数が少ない方がいいと思ってるんだが、そうだな、俺としてもレイアーナが一緒に来てくれるなら心強い」 「そ、そうよ! レイアーナ、アンタ一緒に来なさい!」  リクドウの提案にルナルラーサは即座に賛同する。 「リクドウ先生、なるべく人数が少ない方がいい、というのはどうしてですか? 内戦状態の国に侵入するという意味ではわかるんですが、相手がガビーロールだからというのは」  カナーンが授業中の様に手を挙げて質問した。 「先ほどのガビーロールとの戦いで、カナーンはどう思った? あの、人形の動きを」 「……少なくとも私が見たことのあるゴーレムとはまるで違っていました。普通に生きているような動きで……。それに、魔法を使ったり、あんな風に会話できることにも驚きました」  カナーンの答えにルナルラーサが自慢げにうんうん頷く。 「それがガビーロールが本当に厄介な点だ。あいつは人形に自分の意志を憑依させて、あいつ自身であるように動かすことができる。魔法の行使も含めてな。その上、その意志はいつでも本体に戻すことができる様なんだ。そして、あいつがその意志を憑依させることができる対象は、無生物に限らない」 「無生物に限らないってことは生物も……それって、人間にも乗り移れるってこと!?」  驚くエリナに、リクドウは頷いて続けた。 「そうだ。しかもガビーロールは、憑依せずとも大量の人形をゴーレムとして操ることができる。以前あいつと対峙した時は、大量のゴーレムと戦っているうちに、同行していた騎士中隊の隊長が憑依されてな。俺たちはなぜかその騎士中隊とも戦うことになったりしたんだよ……」 「あれは大変だったよね……。騎士さんたちを殺しちゃうわけにもいかなかったし……」 「うわ……」  その話には、今まで黙っていたフランまでもが声を漏らす。 「まあ、そんなわけだ。俺とルナルラーサとレイアーナなら、そう易々と憑依されることもないだろう。この三人なら強力なゴーレムに襲われても、それぞれで対処できるだろうし」 「レイアーナもそんなに強かったんだ……」 「にゃはは、それほどでもないけどね~」  レイアーナに尊敬の眼差しを送るエリナ。  そんなエリナを見て、カナーンは小さく口をすぼめていた。 「レイアーナ、それでいいわよね?」 「ん~? でも、ルナ的にはホントにそれでいいのかにゃ~?」  レイアーナの煽るような物言いに、ルナルラーサは小さくうめいたが、なんとかその苛立ちを抑えこむ。 「いいに決まってるでしょ? 元々私は、魔王の娘のことなんかどうでもいいんだから。だけど、ガビーロールや魔王軍の残党については捨て置けない。たぶん存在するあの魔神を喚び出したヤツのこともね。こちらの戦力が増えてくれる分には大歓迎よ」  カナーンの口元はさらに酸っぱくなった。  ルナルラーサがエリナのことをよく思っていないことは重々承知しているが、レイアーナへの苛立ちもあって、カナーンは自分の感情を上手くコントロールできないでいた。  だが、その時そっと、隣にいたフランの手が、カナーンの手に重ねられた。  フランはカナーンと視線を合わせると、小さく微笑んで頷く。  親友の気遣いにカナーンは、ざわつく胸を落ちつけることができた。 「エリナのことは、私がつきっきりで護ります。だから、ルナも心配しないで行ってきて」 「だから私はその子の心配なんて――あぁ、もういいわ。そういうことよ、レイアーナ! ぐだぐだ言ってないで一緒に行くの。いいわね?」 「はぁ、しゃーない。悩める少年少女を引率してあげますか」 「「誰が悩める少年少女だ!」」  息の合ったリクドウとルナルラーサのツッコミにクスクスとロミリアが笑う。 「でも、レイアーナなら本当にいい教師になれそうね。色々と物知りだし、生徒たちにも好かれそう。どう? うちの学院は教師の手が全然足りていないのだけど」 「冗談でしょ。わたしは年がら年中旅してないと気が済まないタチだからね。子供たちにちやほやされるのは嫌いじゃないけど、街に定住とかできないって」 「そう、残念ね。でも気が変わったらいつでも言ってね?」  レイアーナは小さく嘆息して肩をすくめた。 「えっと……」 「どうしたの? エリナ」  普段のエリナらしくない控えめな声に、ロミリアがすぐに気がついて尋ねる。 「その、ヨーク・エルナってとこ、どれくらい遠いのかなって……」 「そうね……。順調にいけば馬車で半月あれば着くくらいじゃないかしら」 「馬車で半月……帰りも考えると一ヶ月……」  ぼうっとした様子で呟くエリナ。 「エリナ、フレイムと馬車は使わせてもらうけど、大丈夫だよな?」 「あ、うん、もちろん。一ヶ月もの間、りっくんもフレイムもいなくなっちゃうのは、寂しいけど……りっくんはわたしのためにがんばってくれるんだもんね」  一ヶ月というのは、ヨーク・エルナまで行って帰ってくるだけの概算の日数である。  もちろん、一ヶ月経てば帰ってくるという保証はどこにもない。 「エリナ……ごめんな?」  さすがにエリナの様子がおかしいことに気がついたリクドウは、先ほどきつい調子で言い過ぎたことも含めて謝罪した。 「だから、大丈夫だって。本当はついていきたいけど、それじゃありっくんに迷惑かけちゃうってことくらい、わたしにだってわかるし……」 「迷惑とかじゃなくてだな……」 「違うの! 大丈夫だから! わたしには、フランも、カナちゃんも、ロミリアも、コルも、それにリエーヌさんだっているんだから……だから、大丈夫」  エリナはそこで席を立ち、リクドウに背を向けた。 「ごめん。この先の話、わたし、役には立てないよね? 部屋に戻ってるから」  そう言って、エリナは食堂から出ていってしまう。 「「エリナ!」」  フランとカナーンも同時に席を立ち、その後を追った。 「エリナ……?」  エリナの部屋のドアをそっと開けて、フランがその名を呼び、そして中に入る。  カナーンも慎重にフランの後に続く。 「…………」  エリナはベッドにうつ伏せになっていた。 「……ごめんね」  辛うじて聞き取れる程度の小さな声でエリナが謝る。 「大丈夫だよ……。わかってる。りっくんが行かなくちゃいけない理由も……わたしがついていっちゃいけない理由も……ちゃんとわかってるから……」  その声に気がついたのか、エリナの部屋に設えられた寝床で丸くなっていたコルが、キィと小さく鳴いて首をもたげた。 「コルもありがと……大丈夫だよ。今はちょっと、頭の中がごちゃごちゃしちゃってるだけだから……ちょっと休めばすぐに……」 「エリナ」  その言葉を遮って、フランがベッドに腰を下ろした。  そして、エリナの金色の頭に手をやって、優しく撫でおろす。 「……大丈夫だよ、フラン」 「全然大丈夫じゃないでしょ? 言いたいことがある時はちゃんと言おう? エリナがね、私にそれを教えてくれたんだよ?」 「わたし、ちゃんと言ったよ……」 「ううん、言えてない」 「一緒に行きたいって言ったし……寂しいとも言ったよ……。わたし、ちゃんと言った……」 「でも、エリナは堪えてた。一生懸命に、自分を抑えつけてた。そうでしょ?」  エリナの頭を撫で続けるフラン。  カナーンはそんな光景を見て、ただハラハラしているだけの自分、こういう時に何もできない自分を情けなく感じていた。 「あのね、エリナ。エリナはいい子だよ、エリナはいい子だねって、エリナとちゃんと関わった人たちはみんなそう言うの。私もね、エリナはいい子だって、そう思う」 「…………」 「でもね? エリナはエリナなんだよ? エリナはエリナのままでいいの」 「ごめん、フラン……。なにを言ってるのか、わたし――」 「エリナ自身が、いい子を演じる必要なんてないって、私は思う」 「――ッ」  フランの手は変わらずに優しくエリナの頭を撫でていたが、その表情は緊張で半ば青ざめてしまっているのがカナーンにはわかった。  今の言葉はエリナを傷つけるかも知れない。  フランはそれがわかっていながら、青ざめるほどの緊張を見せながらも、躊躇なくそれを言ったのだ。  それがきっと、今のエリナに必要なものだから。そう信じて。 「フラン、そうかも……」 「エリナ」  突如としてエリナがベッドから身を起こした。 「フラン、カナちゃん、ありがと! わたしもう一回、りっくんに言ってくる! 何にも変わんないかもしんないけど、ちゃんと言ってくる!」 「うん、がんばって、エリナ」 「が、がんばって」  そして、エリナは自室から飛びだしていった。 「……はぁ、よかった」  今度はフランがどっと力が抜けたようにベッドに突っ伏した。 「フラン、お疲れ様。本当にすごかった……。私は何もできなかったわ……」 「ううん、私はたぶん、私の好きなエリナでいてほしかっただけなの。だから今したことは、私のわがまま」 「そんなことない。フラン、私はあなたのことが大好きだし、深く尊敬してる。それを今、改めて思ったの」 「そ、そういうこと面と向かって言われるのは恥ずかしいよ……。でも、ありがとう。私もカナちゃんのこと大好き。かっこいいし、かわいいし、頼りにしてる」 「う、た、確かに……恥ずかしい、かも……」 「今度はエリナにも言って、二人で恥ずかしがらせちゃおうね」 「フフフッ、うん」  二人の少女が微笑み合う中、コルが小さく一つキィと鳴いて丸まり直していた。 「りっくん、聞いて!」  食堂に戻ってくるなりエリナが言った。 「エリナ……。わかった、聞こう」  リクドウの応えに、エリナは頷く。 「あのね、りっくんが行っちゃうの、わたし寂しい! わたし寂しいの!」  今度はリクドウが頷いた。 「いくらわたしのためだからって、一ヶ月もりっくんと離れ離れになんてなりたくない! 寂しい! りっくんがどうしても行くって言うなら、わたしも一緒に行きたいよ! わたしのことなんだよ!? わたしもりっくんと一緒に行きたいよ!」 「ちょっとアンタね、さっきの話を――」 「ルナ」  物言いをつけようとしたルナルラーサをレイアーナが留める。 「でも、それがわたしのためなんでしょ!? りっくんがわたしの幸せを願ってそうしてくれるってことなんでしょ!?」 「そうだ。だから、エリナをわざわざ危険なところに連れて行くわけにはいかないんだ」 「だったら、お願い! 絶対に、無事で帰ってきて!」 「……っ」 「りっくんは魔王を倒した勇者かもしんないけど! すっごく強いのはもう聞いたけど!」  それまで抑えてきた涙が、エリナの目蓋から零れだした。 「でも、心配だよ……。わたしの幸せを願ってくれるなら、りっくんが、ちゃんとわたしの傍にいてくれないとダメだよ……。だから、絶対に、無事で帰ってきて……。約束して……」  リクドウもまた目頭が熱くなっていたが、涙が零れてしまうのだけはなんとか堪えて、笑顔を作った。 「……昔からさ、戦いに赴く戦士が『必ず帰ってくる』なんて約束をするのはよくないって言われてるんだ。むしろ帰ってこられなくなるっていうジンクスだな」 「え、そ、そうだったの……? ごめん、わたし――」 「だが俺は、魔王の居城に攻め入る前にそういう約束をブレナリアの国王陛下たちとしちゃってな、それでも今、こうして無事にエリナと平和な暮らしを営んでるわけだ」  まるで大したことではないとでも言わんばかりに笑い飛ばすリクドウ。  エリナは目をパチクリとさせるばかりだ。 「約束するよ、エリナ。俺は必ず無事にエリナの元に帰ってくる。待っていてくれ」 「りっくん……っ! うんっ! でも、本当に気をつけてね! 約束だからね!」 「ああ、ありがとう、エリナ」 「にぇへへ……あれ、また涙出てきちゃった……。またわたし、部屋に戻るね? フランとカナちゃんもいると思うから……。にぇへへ……じゃ、じゃあ、それだけ」  そして、エリナは再び食堂から出ていった。 「なるほどね……」  最初にそう呟いたのはルナルラーサだった。 「お? ついにエリナがいい子だってことを認めちゃいますか?」 「なるほどねって言っただけでしょ!? う、うるさいのよ、レイアーナはいつもいつも」 「にぇへへへへへへへ」 「その笑い方もムカつくんだっての!」  ルナルラーサがレイアーナに掴みかかろうとした時、リクドウが不意にガクンと首をもたげた。 「リクドウ様?」  リエーヌが即座に気がつき、様子をうかがう。 「うぅ……いや、大丈夫だ……。ただちょっと……っ……」 「放っておいてあげなさい、リエーヌ。リクドウは今、感動と喜びで泣いてるだけだから」  そう呆れたように言ったロミリアも、少し目元に涙が溜まっていた。 「それだけじゃない……」  泣いてることは否定せずに、リクドウは突っ伏したまま言う。 「あんな風に言われたら、俺だって……俺だって寂しくなるじゃないか……。うぅ……」 「うわ……。信じらんない。これが本当に魔王討伐の勇者なわけ?」  そんなリクドウを見て、呆れた風に言ったルナルラーサだったが、 「あのさぁ、ルナ。わたし、なにか賭けてもいいんだけど……ルナも絶対に、そう遠くないうちに、カナーンのことでこれくらい泣くような状況が来ちゃうと思うよ?」  レイアーナにそんな予言をされて、それ以上何も言えなくなってしまったのだった。
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