海士坂 司

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恋人に裏切られたような、哀しい目で見上げてくる。 「司、やめて。なんでも言うこと聞くから」  本当にコトリか。 見分ける手立てはないのか。 もしかして、とんでもないことをしてしまっているのではないか。 「お願い、殺さないで……」  頬が赤い。 恐怖に細められた目から光の粒が流れ落ちた。 「……コトリ。正直に答えてほしいんだけど」  近づき、横たわる身体を跨ぐ。 ゆっくり顔を近づけていく。 「僕のこと好き?」 「好きよ」  即答し、媚びるように目を細める。 「本当なの……だから司、お願い」  落ちていたネクタイを再び口に突っ込む。 今度は吐き出されないよう、自分のネクタイを外して口に噛ませ、後頭部で縛った。 「本物のコトリなら罵倒してるとこだよ」  女の顔が歪んだ。 今まで泣いていたとは思えない愉悦に満ちた表情だ。 理性的な彼女とはかけ離れた、下品で邪悪な笑みだった。  司は確信する。 『この女』こそが災いの源だ。  ――「今度こそ幸せになるの」。  とっさに振り向く。 誰もいない。 廊下へと続く四角い穴が、うつろに口を開けているだけだ。  立ち上がり、ドアのあった場所へと向かう。 部屋を出る直前に振り向いたが、そのときにはもうコトリは静かになっていた。     
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