まだ乾いていない抜け殻をこの肌から剥がすように

9/9
24人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
 自分の口調が、どこか幼くなっているのに気付く。  繰り返し胸に訪れる、あの化学準備室の光景が、色褪せる日は来るのだろうか。  そうだとしたら、それはきっと夢から覚めるようにではなくて、まだ乾いていない抜け殻を肌から剥がすような、やりきれなくて自分しか泣けないような痛みを伴うのだろう。 「先生、私、ちょっと思いついてしまったんですけど」 「何だ?」  低く穏やかな声。 「先生の家の畳に、私の血が染み込んでしまいましたよね」 「そうだな」  でも、決して掠れない。 「そう簡単に取れませんよね」 「かもな」 「あの居間に先生が座っている時、私の血がそこにあるって、まるで私が先生のすぐ隣にいるみたいですね」  私はそう言って、わざと笑った。  先生はしばらく黙った後、深く嘆息した。 「たまに怖いんだよな、如月は」 「たまにじゃないですよ」  二人で笑う。無理矢理に。  きっと、畳はすぐに取り換えられてしまうだろう。  そうしてあの家には、私の痕跡なんて何ひとつなくなる。  今日、机を挟んで向かい合わせではなく、少しだけでも先生の横に、隣り合って座らせてもらえばよかった。  黄昏色の化学準備室の代わりに、これからは、その叶わなかった光景が何度も胸に浮かぶかもしれない。  その時は、今まさに隣にいる先生の顔に浮かんでいる、困ったような笑顔で、私を見つめてもらうことにしよう。  いつかそれすら色褪せるまで。いつまでも、ずっと。  救急車が、病院に吸い込まれていった。 終
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!