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自分の口調が、どこか幼くなっているのに気付く。
繰り返し胸に訪れる、あの化学準備室の光景が、色褪せる日は来るのだろうか。
そうだとしたら、それはきっと夢から覚めるようにではなくて、まだ乾いていない抜け殻を肌から剥がすような、やりきれなくて自分しか泣けないような痛みを伴うのだろう。
「先生、私、ちょっと思いついてしまったんですけど」
「何だ?」
低く穏やかな声。
「先生の家の畳に、私の血が染み込んでしまいましたよね」
「そうだな」
でも、決して掠れない。
「そう簡単に取れませんよね」
「かもな」
「あの居間に先生が座っている時、私の血がそこにあるって、まるで私が先生のすぐ隣にいるみたいですね」
私はそう言って、わざと笑った。
先生はしばらく黙った後、深く嘆息した。
「たまに怖いんだよな、如月は」
「たまにじゃないですよ」
二人で笑う。無理矢理に。
きっと、畳はすぐに取り換えられてしまうだろう。
そうしてあの家には、私の痕跡なんて何ひとつなくなる。
今日、机を挟んで向かい合わせではなく、少しだけでも先生の横に、隣り合って座らせてもらえばよかった。
黄昏色の化学準備室の代わりに、これからは、その叶わなかった光景が何度も胸に浮かぶかもしれない。
その時は、今まさに隣にいる先生の顔に浮かんでいる、困ったような笑顔で、私を見つめてもらうことにしよう。
いつかそれすら色褪せるまで。いつまでも、ずっと。
救急車が、病院に吸い込まれていった。
終
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