まだ乾いていない抜け殻をこの肌から剥がすように

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 初夏の和室は、家自体が古風な日本家屋のせいか、どこかひんやりとしていた。  庭に向けて障子を開け放った部屋。床の間に掛け軸。違い棚に、青い畳。格子模様の天井。どこもかしこも、品がいい。縁側には、剪定鋏(せんていばさみ)と竹ざるが置いてある。  私の目の前に、机を挟んで座っている男性は、高校時代の教師、青樹由紀成(ゆきなり)先生だった。  私は二十七歳になった。先生は、確か四十七歳。けれど、私の在学中と比べても老いたような印象は受けない。私の――欲目かも知れないが。  やや伏せた眼に、短めの髪を適当に撫でつけた頭。銀縁の眼鏡。ワイシャツに、サスペンダーのついたスラックス。全て、あの頃と変わらない。  私は、高校の頃よりも髪を伸ばした。化粧も覚えた。シックなオレンジのワンピースは、適当に似合っていると思う。  先生がガラス製の茶碗の縁を指先でなぞりながら、ぽつりと言った。 「如月(きさらぎ)。本当に僕の息子と結婚するつもりなのか」 「はい」 「僕の息子だと知っていたのか?」 「はい」  私は正直に答える。学校にいた頃から、青樹先生にだけは嘘をつかないと決めていた。 「あの息子のどこがいいんだ? 成人したというのに怠け者ですっかり贅肉まみれの、定職もない男だ。思春期には僕への反発もあって突っ張っていたようだが、それを貫き通すでもなく、何年も風来坊をやってからふらふらと戻って来て、この家に寄生しているような奴だぞ。今日もどこをうろついているやら」 「知っています。息子さん、私たちの間でも有名でしたから。随分年下ですが、私は問題ありません。彼のどこがいいかと言われれば、……先生の息子さんであるところですね」  窓際の風鈴が鳴った。柔らかい風が部屋の中に吹き込み、先生の奥さんの黒々とした仏壇を撫でる。 「僕の息子に、好意は抱いているのか?」 「いいえ」  先生が嘆息した。 「君は、今でも……」 「先生が好きです」
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