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一年半前までは貞淑な妻よろしく、俺の脱いだ服をハンバーにかけてくれていた美幸は、窓の外を眺めたまま指一本動かそうとしない。
別居までの二年半が演技だったと思うと、女性不信になりかけた。ならなかったのは、千尋のおかげだ。
「家を出たのはあなたよ。それに、理由はどうあれ、あなただって別居生活を楽しんでるじゃない」
「ふざけるな。あんな状態で一緒に暮らせるわけがないだろう。お前があの場で離婚届に判を押していたら、今頃は――」
「再婚してた?」
再婚――?
そうだ。
俺は、一刻も早く美幸と離婚して、千尋と再婚したい。
セックスの後で叩き起こされることなく、毎晩千尋を抱き締めて眠り、抱き締めたまま目覚めたい。
だが――――。
『私たちの関係は、比呂が奥さんと別れるまで』
千尋の言葉を思い出す。
『比呂のことは好きよ。薬指に指輪をしている限りはね』
くそっ――!
「お前に騙されて、再婚なんて考えられるかよ」
俺は、心にもないことを言った。
「けど、この一年間は離婚をせっついてこないじゃない。この状況を理解してくれる女がいるんでしょ? なら、このままでもいいじゃない」
「電話もメッセージも無視してるのはお前だろ。大体、なんで離婚を拒むのか――」
「その話は後にして。式が始まる!」
美幸は立ち上がり、そそくさとバスルームに向かった。鏡の前で最終チェックでもするのだろう。俺はネクタイを締め、ジャケットを羽織り、ベッドの上のスマホを手に取った。
当たり前だが、千尋からの着信もメッセージもない。――というか、これまでもない。
連絡するのはいつも、俺から。
「さ! 行くわよ」
部屋を出た瞬間、美幸の表情が変わった。
夫を裏切った悪魔のような女から、夫に寄り添い穏やかに微笑む妻へ。
千尋の声が聞きたい。
裏表のない、千尋の本音が聞きたい。
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