3102人が本棚に入れています
本棚に追加
お昼にお弁当箱を開けた阿部が動きを止めた。
「かすりちゃん、今日は卵焼きないの?」
確かに今まで玉子焼きは必ず入れていたけど、まさかそれだけで阿部がこんなにがっかりした顔をするとはかすりは思っていなかった。
そんな姿にかすりは自分よりも年上の男の人だけど、可愛いと思ってしまう。
「ありますよ。」
そう言ってかすりはお弁当箱とは別のタッパーを出した。
蓋を開けるとお弁当を持参してきた五十嵐と莉子が阿部とかすりが座る長机に腰をおろした。
「うわー。
俺も食べたい。」
そう言いながら五十嵐は既に手を伸ばしている。
その手首を阿部がパシッと掴んだ。
「抜け駆けは許さん。」
「何ですかそれ。
今日は沢山作ってきたからイガちゃんも莉子さんも良かったら食べてください。」
最近莉子は五十嵐のことを他の社員にならって「イガちゃん」と呼んでいる。
もっとも、莉子とかすり以外の人は「イガ」と呼んでいるんだけど、さすがにそれはないなと思って「イガちゃん」にしたのだ。
「今日は甘いだし巻きたまごとしょっぱいだし巻きたまごの二種類作ってみました。」
「どうしたの?」
莉子が不思議そうにかすりを見る。
「人気投票しようかと思って。」
「人気投票?」
「はい。
人気投票って言うのは大袈裟ですけど、みんな甘いのとしょっぱいのだったらどっちが好きなのかな?と思って。」
「私は甘いの。」
食べずに即答する莉子。
「俺はどっちも好きですけど、しょっぱい方が好きかな。」
五十嵐は卵焼きを飲み込んでそう言った。
「俺もどっちも好きだけど、どっちかといえば甘い方だな。
でもかすりちゃんが作るいろんな具が入ったのも好きだよ。」
かすりは確かに以前阿部がそう言っていた事を思い出した。
「なるほど。」
そう言うかすりの頭上から手が伸びて卵焼きが攫われる。
「奥さんの卵焼きもうまいけど、これもうまい。」
「社長??」
「俺はしょっぱい方に一票。」
「俺は甘い方。」
「俺、海苔巻いたやつがいい。」
フロアにいた人から次々声が上がる中、阿部は黙々とお弁当を食べている。
そして、「うまっ。」と言って幸せそうな顔をした。
みんなが振り返ってその姿を見ながら笑う。
阿部は、
「だって本当に美味いんすよ。この筍ご飯。」
と言い訳するように言う。
「何?筍ご飯?
俺は筍には目がないんだ。
少し食わせろ。」
「駄目です。
これは俺の弁当です。
いくら社長と言えどもそこは譲れません。」
「何を??
社長命令でも聞けないのか?」
「そんな命令は聞けませんよ。
公私混同!パワハラ!
そんな圧力には絶対屈しません。」
二人はお弁当を取り合ってもみ合っている。
「あーあ、いい大人がお弁当取り合っちゃって。」
「阿部さんって、かすりさんの弁当の事になるとまるで子供ですよね。」
「ホントそう。」
莉子と五十嵐が社長と阿部のバトルを傍観しながら卵焼きを口に運ぶ。
一瞬阿部が振り返った。
「ああああーーーー。
卵焼きがもうない!!」
空になった卵焼きのタッパーを見つめて今にも泣き出しそうになる阿部。
さすがに驚いた社長が、
「そんなに肩を落とすなよ。
俺の卵焼き一つやるから。
うちの奥さんの卵焼きもうまいぞ。」
そう言って自分のお弁当から卵焼きを一つ阿部のお弁当箱へ乗せてくれる。
「ありがとうございます。
それじゃ筍ご飯一口だけあげますよ。
はい、あーん。」
男同士でご飯を食べさせている姿を目の当たりにした人々はその場で固まった。
そんな周囲の反応など全く気にしない二人は、
「うまいな。」
「この卵焼きもうまいです。」
と言い合っている。
「ま、和解して良かったんじゃないの?」
そんな莉子の一言に、みんなうなずいた。
結局卵焼きの人気投票は甘いのとしょっぱいの、半々だった。
一緒にお弁当を食べる阿部さんはどちらかというと甘いのが好きで、具が入ったのも好き。
そして玉子焼きが入ってないとショックを受けるくらい卵焼きが好き。
かすりはその情報を頭にインプットした。
最初のコメントを投稿しよう!