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かすりの前に置かれた煮込みハンバーグからは美味しそうな匂いが立ち昇っている。
「美味しそう……。」
かすりはうっとりとした声でつぶやいた。
「かすりちゃん、オムライス先に食べてみてよ。」
「えっ?
いいんですか?」
「いいよ。
俺が箸付ける前に食べて。」
「ありがとうございます。
あ、阿部さんは私の煮込みハンバーグ先に食べてください。」
「俺はいいよ。
味知ってるから。」
かすりはフォークでオムライスの端の方をすくって口に入れた。
オムライスはご飯と卵の味のバランスがちょうどよくて、噛んでいると口の中で溶け合うように味が重なった。
「美味しいーー。」
「もっと食べていいよ。」
かすりは自分でもこの味を作りたくて、阿部の言葉に甘えてもう一口食べる。
「ありがとうございます。
美味しかったです。」
「もういいの?」
「はい。
大体の味は記憶しましたから。」
「記憶?」
「ああ、私もこのオムライス作りたいなと思って味を忘れないように覚えたんです。」
「さすがだね。
俺なんか何も考えないで食べちゃってるよ。」
「それでいいと思いますよ。
私だって味を記憶しただけでこの味が作れるとは思わないし、簡単に作れちゃったら商売にならないですから。」
「確かにそうだよね。
でもかすりちゃんのオムライス、俺、食べてみたいな。」
「ええーー。
こんなに美味しいお店のオムライス食べてる人に作りたくないですよ。」
「そんな事言わないでよ。
何ならもうお店でオムライス食べないから。」
阿部のそんな言葉にかすりは驚くと同時に、叱られた小学生みたいに必死に言ってくる阿部の姿にクスリと笑ってしまった。
「嘘ですよ。
だけどお弁当ではちょっと難しいかな……。
作れないことは無いけど、多分凄く味が落ちると思いますよ。」
「うーん。
それは悔しいな……。」
「阿部さんが隣に住んでたら届けてあげるんですけどね。
んー、ハンバーグも美味しい。」
かすりは嬉しそうに言った。
阿部はちょっと考え込んでいる。
「そっか……。
かすりちゃんのアパートの隣の部屋が空いたら教えて。」
「へっ?」
「俺、本気で引っ越そうか考える……なんて鬱陶しいよね。」
言っている途中でそれに気づいたらしい阿部は、恥ずかしそうに頭をかいた。
「やっぱり阿部さん、面白い。」
「やっぱりって何?やっぱりって。」
クスクスと笑うかすりに言うけど、かすりは笑いをこらえるのに必死で聞いていない。
「そんなに面白いかな……?」
阿部はひとりごちた。
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