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「清夏は上手く寝るよね」
「まあねー、へへへ」
言いながら、清夏は映美の首に手を回して背中にのしかかる。
「ああもう、こんなにお日様浴びてぽっかぽかになっちゃって!映美ほんとに窓際好きだよね。日向ぼっこ大好きっ子かよ~」
「いや、日向ぼっこと言うか、日を浴びてるだけと言うか……う~ん」
清夏に好き放題撫でくり回されながら、映美は少し唸ってみせた。しかし、彼女はすぐに説明を諦めた。ここで言った所で信じてもらえるようなことでもないからだ。
実は、今日も映美はただ無為に教室の床を眺めていたわけではない。彼女にしか見えないもの……余人からすれば彼女の妄想か幻覚と大差ないもの……それに視線を注いでいたのだ。
それは映美自身が床に落とした影。物心ついた頃から、映美にとって自分の影とは単に地面に投影された虚像ではなかった。映美の影は、映美自身の体の動きとは関係無く歩き、伸びをし、時に転ぶ。時には笑い声さえ聞こえてきそうな愛らしい仕草を見せることもある。よく晴れた日にそんな影の一挙一動を見守るのが、映美は昔から大好きだった。
だから事情を知らない周囲の大人から見れば、映美は暇さえあれば地面ばかり見ている子に育ってしまったわけである。勿論、心配されることはしばしばある。一度見ているものをそのまま話した時などは、実の親からも通院を薦められたほどだ。
しかし、映美には自分が正しいという確信がある。何故なら、影はただ好き勝手に動くだけではない。それは時折、映美に向かって手を振ったり、笑いかける素振りを見せたりすることがあるのだ。
映美の方から投げキッスを返してみた時などは、影が女の子らしく恥じ入る姿も見ることができた。影は間違いなく映美のことを認識しており、黒い輪郭のその向こうに、映美は確かに何者かの人格を感じることができた。それは先程の授業中でも、清夏に絶賛可愛がられ中の今でも変わらない。
(まあ、そんなこと言ってもまた頭がおかしいと思われるだけだし……心配させちゃうのも悪いからね。ボクはいいんだ、別に日向ぼっこ大好きっ子で)
そんな風に思考に区切りをつけ、惚けている間に授業は順番に終わって行き……あっと言う間に放課後となった。帰路が逆方向の清夏とは校門前で別れ、映美は影との二人道をのんびりと歩く。傍から見ればひとりとぼとぼと行く通学路でも、映美からすれば最も親しい友人と行く遊歩道だ。影ゆえに言葉が届かないのはもどかしいが、それでも、かかとで繋がった真っ黒い親友との不思議な関係を映美は楽しんでいた。
「だけど、それでも……君と話ができたらもっといいのにね」
昼間の清夏との会話もあってか、不意にそんなことに思いを馳せる映美。だが日頃俯いて歩いていることに加え、それは彼女の注意力を大いに削いだ。今まさに差し掛かろうと言う横断歩道の信号が赤であることに、映美は気付いていない。交通量の少ない道だが、だからこそ通る車は皆スピードを出している。映美は信号を見ることなく、車道に身を乗り出す寸前……生命の危機が一瞬後に迫った時、「それ」は起こった。
『危ない!赤です!』
何者かの声と共に映美は体をグイッと引っ張られ、間一髪歩道に踏みとどまった。
「あ、ありがとう……助かった、って……あれ?」
親切な誰かさんの姿を探そうと映美は辺りを見渡したが、そこには誰も居ない。
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