【2】

1/6
585人が本棚に入れています
本棚に追加
/45ページ

【2】

 高級ホストクラブ『デウス』のVIPルームから、たった一人で帰還した静夜の噂は一夜のうちに街中に拡がった。日本屈指の歓楽街。その頂点に君臨するホスト、水城静夜が客に逃げられた……と。  これには店のイメージを何より重んじるオーナーや店長も頭を抱えた。  すぐに箝口令を敷き、あれは何かの間違いだったと否定したが、人の口には戸は立てられないという事を身を以って知った。  そして、翌日から静夜は客を取るのをやめた。もちろん、テーブルでの指名は大歓迎ではあるが、アフターも同伴も一切受け付けない旨を伝え、フロアマネージャーを困惑させた。  その理由は言わずもがな、あの真鍋広武だけをターゲットに絞ったからだ。決してその場の勢いだけでないことを証明するための決意だった。 「――静夜さん、あの話ってマジなんすか? 俺、その日シフト入ってなくて状況、分かんないっすけど」  ランニングマシーンの手摺に凭れながら、少し伸びた前髪を気にして指先で弄っていた剣斗(けんと)がいつものチャラい口調で話し掛けて来た。  ここは静夜が通うトレーニングジム。出勤前の空き時間や休みの日などは大概ここにいることが多く、体の鍛錬に余念がない。  体質的に無駄なものが付きにくいのは利点だが、筋肉もまたトレーニングをさぼるとすぐに落ちてしまう。  ナンバーワンである以上、常にパーフェクトボディでなければ客商売は勤まらない。 「うるせぇ。その話は、するなっ」  息を弾ませながらランニングを続けている今日の静夜は、ホストモードとはほど遠い、アスリートの顔になっていた。  起き抜けの柔らかな髪もそのままに、Tシャツとトレーニングスパッツ、それに足元には蛍光色のスニーカーといういで立ちで、夜の煌びやかなイメージはそこにはなかった。  細身ではあるが均整の取れた体にフィットしたスタイルは、ジムの中でも一際目を惹いた。 「え~。静夜さんに限ってあり得ないっていうか~。俺、そいつをぶん殴りたい気分なんですよ」 「な……んで、お前が……アイツを殴る……ん、だぁ」 「ムカつくじゃないっすか? ホストとしてだけでなく、あっちの方のプライドも傷付けられたんですよ? VIPから静夜さんを一人で帰すとか……。マジ、あり得ないっす。しかも、札をばら撒くとか……頭イカれてるんじゃないっすか?」
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!