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独言
「うーん、悩むなぁ。そうだ、ここで冒頭のシーンを再び描写するのはどうだろう……今度は彼女の視点で。うーん……しかし、それだと……」
私の主人がまた、いつものように独り言を呟いていた。私の主人は、極めて独り言が多い人だ。一人自室にこもり、安楽椅子に腰掛け、何も無い空間に向かって、しきりに唇を動かし言語を紡ぐ主人の様子は、いつ見ても不可思議なものである。
勿論、アンドロイドである私にだって、音声言語を発する機会は多分にある。しかし、それは、命令に対して応答を行なう目的や、相手の意図を確認する目的が主であり、要するに、疎通の対象となる相手が存在することが前提にあるのだ。それなしに、言語を発することはあり得ない。しかし、実際の人間では、そうとは限らないらしい。
主人が言うには、人間とは、「寂しくてたまらず、自分を慰めようとする時」又は、「良いアイデアを求めて自問自答を繰り返している時」に独り言を言うそうだ。今は──おそらく後者の方なのだろう。私は、そっと見守ることにした。
「うーん、参ったな。物語の着地点がいまいち定まらない。さて、どうしようか……」
私の主人は、作家なのだ。主人の書く物語は、繊細で叙情的な作風で知られ、世間からも好評価を得ているらしい。
私は、人間の「感情」といったものに対して理解しきれているとは思えないし、まして、人間と同じような「感情」が私に備わっていると信じているわけではない。
しかし、私は主人の書く物語を不思議と「好ましい」と感じている。そして、主人自身のことについては、非常に「好ましい」と感じている。とはいえ、私たちは元々、自身の所有者について、「好ましく」感じるようにプログラミングされているので、主人を「好ましく」感じているのは、当然のことなのかもしれない。
しかし、客観的に見ても、主人は非常に温厚で、思慮深く、優れた人格の持ち主であるといえるはずだ。──いささか変わり者ではある可能性は否定できないが。とにかく、そんな主人であるからこそ、私は、主人を「好ましい」と思う感覚を私自身のものとして率直に受け入れることができた。
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