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「おや、困ったな。」
公園のすぐ側まで来た時、主人がそう声をあげた。前方に瓦礫が山積みになっている。どうやら、この道は完全に封鎖されているようだ。
『仕方がないので、別の道を通りましょうか。』
そして私たちは、少し回り道をして、公園内へと辿り着いた。
肝心の桜は、まだ満開には程遠い。しかし、ちらほらと蕾を綻ばせているそれらを見て、主人は満足気な様子だった。
「三分咲きくらいかな。」
『そうですね。』
私も、錆びたベンチに腰をおろし、しばらく主人と同じ視線から花々を見上げていた。
「これから、満開になって散ってしまうまで、あっという間なんだろうね。……年々、その期間が短くなっていっているように感じるよ。多分、歳のせいなんだろう。」
『そういうものなのですか。ならば、せめて咲いている内に、何度でも見に来ましょう。』
ふと主人の表情が気になり、視線を移す。──その時、主人の乾いた眼窩に、一匹の小さな甲虫が入り込んでいるのに気がついた。私は、すぐにそれを摘み出したい気分になったが、慈悲深い主人は、例え虫相手であろうと、そのように粗雑に扱うのは嫌がるのだろう。私は、仕方なくそのままにすることにした。その甲虫は、主人の眼窩をしばし這い回った後、飽いた様に其処から飛び去った。
『…………。』
──冷気を帯びた風が吹いて、頭上の不安定な花や蕾を揺さぶっていく。
「日が傾いてきたね。」
『……少し冷えてきました。そろそろ帰りましょうか。』
「そうだね。お願いするよ。」
主人の後方に回り、車椅子のハンドルを握る。そして、また、ゆっくりと歩みを進めながら、主人とささやかな会話を交わす。
『帰ったら、何か温かい飲み物でもお入れしましょう。』
『ええ、分かりました。』
『そうですね。』
『はい、勿論です。』
『本当ですか、それは良かったです。』
『私も楽しみです。』
『ええ、そうですね。』
『はい。』
『いえいえ。』
『そうですね。』
『はい。』
『はい。』
『いえいえ、当然のことをしたまでですから。』
『はい。』
『はい。』
『はい。』
『どうでしょう。』
『それは良かったです。』
『そうですね。』
『はい。』
『はい。』
────
──
その時、既に全ての人類は死滅していた。殆どの人造物が朽ち果てて、廃墟の世界が続いている。そこにあるのは静寂と、虫たちの微かな羽音のみであった。そんな空虚な世界で、ただ一つ動き続ける影がある。
──壊れた一体のアンドロイド。彼は今日も、朽ち果てた主人の亡骸を車椅子に乗せ、それを愛おしげに押しながら、独り言を言うのであった。
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