そこは、希望の手触りを知るための場所

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黒一色のショップカードは、誰かに悪戯で塗りつぶされてしまった成れの果てか、印刷ミス、でなければこれから印字されるのを待っている未成熟体に見えた。 けれど、その雑貨屋を訪れるためには、そのショップカードが案内状の役目を果たす。持っていない人間には、扉を認識することさえもできない。 ビルとビルのあいだ、野良猫しか通れはしない狭い狭い隙間を歩いていくと、目の前に重厚な扉が現れる。 その部分だけ、まるで中世のヨーロッパにでも時間が戻ってしまったかのような錯覚。 周囲のコンクリートの壁の中にあってその扉は、材質や佇まいの不自然さと、許可のない者を絶対に立ち入らせないであろう堅固さ、そして下賤な民の目には眩すぎて、思わず視線をそらせる類の威厳を合わせ持って、ただ超然とそびえる歴史的な芸術作品のようでもあった。 その雑貨屋には、希望が売られている。 獅子とも大鷲ともつかない、空想上の聖獣を形取られたノッカーに触れると、真夏であってもその重たい金属の輪はあくまで冷たく、本当にこの扉の中に入るつもりなのかどうかを今一度、頭を冷やして考えろと問われている気がする。 扉の高さは二メートルばかり、ある程度の巨漢も頭を屈めずに中へと立ち入ることができるだろう、地面から扉へは二段ばかり段差が設けられているが、これは不思議なことに周囲のビルの延長の造りのように感じられる。 極めて異質なのは扉そのもの、そればかりだ。 ノッカーを二度叩く。思いのほか大きな音が響く。甲高くも重い音。この音が大通りまで届いて誰かの耳に入り、この場所へ気づかれてしまうのではないかと一瞬訝る。  けれど辺りには誰も通りがかってはいない。それがたまたまなのか、或いはこの扉、この雑貨屋の持つ魔力のようなものに起因するのかは、推測するしかない。  材質の知れない扉は何者をも通さずに固く閉じられているようで、果たして今のノックの音が中の誰かに聞こえているのかどうかも疑問に思われる。 当然ながら、マイク付きのインターフォンや、監視カメラなど設えられてはいない。この歴史的建造物には、たかだか数十歳程度の現代文明などそぐわないし必要ともされない。覗き窓さえついていない。扉の役割はたった一つだけで、その役割を十全に果たすための機構は間違いなく備わっており、それ以外の余分な物は塵ひとつさえ存在を許されないのだ。
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