柔らかに満ちる

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 とある作家の後書き、その〆は必ずこう書かれる。 『最愛なる君へ』  当初、それは読者全般へのメッセージだとその作家は言っていた。しかし、たったひとつのこの言葉は、どうしてか愛が(あふ)れすぎている感覚を覚えさせ、特定の誰かへのメッセージとしか受け取れなかった。  特定の誰かへだろうと、不特定の読者へだろうと、読む側が微笑みを浮かべるくらいに深い慈愛(じあい)が満ちて取れた。  ある時、雑誌のインタビューでそのことを掘り下げられると、彼は決まり悪そうに白状(はくじょう)した。 「特定の誰かへ()てたわけではないのです。ただ、メッセージ性を強くするためには、自分の良く知る誰かを想像して書くほうが、伝わりやすいと思っています。あの言葉を書く時、必ず特定の誰か、僕の一番大切な人を思い浮かべて書いているのは確かです」  会えなくても、大切な人がいつだって自分をそばに感じていられるように、彼は(つづ)り続ける。  それを読む時の大切な人の微笑みを思い浮かべながら、心を込めて後書きの最後を綴り、大切な人だけではなく、様々な人へのエールとなることを彼は祈る。  込められた想いを届けたい。それは決して彼の大切な人だけへ向けられたものではない。  読む人へ手紙を書くように彼は綴り続ける。  ふと大切な人の姿を思い浮かべて、ふと読み手の微笑む姿を想像して、彼は丁寧に丁寧に言葉を(つむ)いで行く。
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