46/48

746人が本棚に入れています
本棚に追加
/325ページ
 もう一度、こわごわとハルを見た。ハルは(うなが)すように、頷いた。 「おばあちゃんが、おじいちゃんのことを、ひとつも(おぼ)えていないって、母さんが云ってたのは、本当なの?」 「ええ、本当です」  微笑みを()かべたまま、ハルははっきりと肯定した。無意味に蛇口から水が流れていっているのに気附いて、秋鹿は止めた。手が(ふる)えた。 「でも、前におばあちゃんは僕に教えてくれたよね。僕のおじいちゃんは、お酒が苦手で、良く食べる人だったって。ご飯も、甘いものも大好きで、良く働く人で、良く笑う人だったって……」 「ええ、そうでしたね」  ハルは静かに答えた。脱いだミトンを握りしめる手が、わなないている。 「それなら、やっぱりおばあちゃんはおじいちゃんのことを、ちゃんと憶えているんじゃないの?」  祈るように、秋鹿は訊ねた。いいえ、と、ハルはかぶりを振る。 「いいえ、秋鹿。私は本当に、何も(おぼ)えてはいないんです」 「どうして……?」 「仕方の無いことだったんです」  痛みを(こら)えるように、ハルは瞼をつむった。忘れたくて忘れた訳ではないことが、秋鹿にも判った。一体、何があったと云うのだろう。 「ただとても大切だと云う気持ち、愛おしいと思う気持ちだけは、(たし)かに私の中に残っているの」  ハルの目には(なみだ)のきらめきがあった。秋鹿は無言で頷いた。
/325ページ

最初のコメントを投稿しよう!

746人が本棚に入れています
本棚に追加