いつでもそばに

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「ピロリロ」 帰り道、聞きなれた機械音に胸が躍った。のほほんルームの掲示板で書き込みがあるとスマートフォンに知らせるよう設定してある。家まで待てず、すぐにでも掲示板にアクセスしたかったが歩きスマホは年寄りでも怒られるだろうと思い、日の出公園に立ち寄りベンチに腰掛けた。 そう言えば出掛ける前に書いた内容は日の出公園の桜だっけな。フリック操作もお手の物となった指で暗証番号を入力し、ロック解除。のほほんルームでは一件の新規書き込み。 「さてさて…」 新しい書き込みを見る。その書き込みを見て初めて胸がざわついた。 「狂い咲きなんて言わないでください。きっと彼は春が来たと思い嬉しさのあまり一足早く咲いてしまったのでしょう。狂っている花なんてこの世にありません」 怒らせるつもりは無かった。ただ、季節外れの桜が見られるよと小さな幸せをおすそ分けしたかっただけなのだ。焦りと不安の中、なぜか懐かしい気持ちが蘇った。それはまだ、妻が生きていた頃。それもずっと昔の話。 ぼくがまだ三十代で、息子が生まれたばかりの頃だったか。ふとした会話で妻を怒らせた事があった。それはぼくが何か事の始まりを「皮切り」と使って表現したこと。当時はよく使われていて何の問題も無かったが、妻は少し眉をひそめた。 「私、その言葉好きじゃないの」 皮切りの何がいけないのか分からず、当時は少しケンカになった。でも、最近ではあまり使われなくなった表現らしい。 「東京出張を皮切りに、出世コースに仲間入りできた、って言ったんだっけな」 公園の南側を見る。ぼくの左隣りに妻が座り、あそこで桜が狂い咲きしていると言ったら妻も怒ったかもしれない。 なぜかぼくはあの書き込みを見て、くるみさんは女性であるような気がした。喜びのあまり先走って花を咲かせた一輪の桜を彼と呼ぶのはきっと女性だ。ぼくの中で根拠のない自信が生まれた。 掲示板の返信を考えていると、制服姿の女子高生が公園内を横切った。ベンチにぼくが座っているのを見ると、空いていたブランコに腰を下ろした。するとカバンからスマートフォンを取り出した。彼女もスマートフォンを操作する場を探していたのか。華奢な体、肩下までの黒髪、紺の制服から見える色白の脚。何となく若き頃の妻を彷彿とさせた。 「くるみさんに謝れってことかな」 妻がそう言っている気がしてぼくはすぐに返信を打った。
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