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「おい雅也、お前はお前が好きな女を好きだと言うべきなんだ。ああ、たしかにな、俺は綾子のことをちっともかわいいとは思わない。あんな女を好きになるやつの気が知れない。周りも同じ気持ちだろう。しかし、しかしだ。俺が綾子をどう思ってるかということと、お前が綾子をどう思ってるかということはこれっぽっちも関係ないんだ。分かるか、雅也。お前は、いや、人間は、あまりにも周囲を気にしすぎている。お前自身がどう思っているか。それが大切なんだ。だからな、お前......いや、もう何も言うな、もう授業がはじまる。だからな、3日後、ホワイトデーにお前の正直な気持ちを伝えてやれ。大丈夫だ。周りがなんと言おうとも俺はお前を尊重する。お前の気持ちを尊重する!」
静寂の色を帯びつつある教室の中、拓海は他のクラスメイトに聞こえないよう小声で、しかし力を込めて、悲しくこう言った。梢が冷たい強風に当たる音のような強さと悲しさがあった。
次の授業に備え、席へと座った他のクラスメイトは拓海が何と言ったのかまでは聞こえなかった。聞こえなかったが、その口調の強さはひしひしと感じ取れた。しかし、そのクラスメイトの中の、雅也や拓海の友人でさえ、彼らに話しかけようとする者はなかった。ただ物言わぬ顔で座っていた。窓際一番前の席で、教室の誰もが見れるよう後ろを振り返っている拓海の顔があまりに真剣であったからである。そしてまた、その拓海に対面する雅也の、真っ直ぐな川のような背中から、あまりにもその顔の清々しさがありありと見てとれたからである。
雅也がホワイトデーに綾子へ告白し、友人に驚かれながらも交際を始めたことは、今さらいうまでもないことだからここでは著さない。
彼らがシャボン玉を手に取るように手に入れた主観の正義の思想は気を抜けば弾けてしまいそうなほど不安定なものであった。その球体に乗る思想の主観の考えは、他人、つまり拓海でいえば雅也、雅也でいえば拓海がいないと成り立たないと彼らが気づくまでに五年。
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