相談

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 しかし、現実世界における帰納法は単なる帰納法にすぎず、決してそこから導き出される抽象的答えの確定には至らないのである。つまり雅也は、恋愛においてのみ、ねずみの爪先ほどに無知で臆病だった。これまで雅也に女の色がなかったがゆえに、拓海はそのことを推定できなかった。  いやぁ、とそれだけを口にし、あいまいな道化の微笑を口元にたたえる雅也の、暗礁の瞳の陰りを、ただ拓海は、同室内にいる同級生の、梢が触れ合う音に似た話声を片耳で聞きながら、深く見つめた。そしてしばらく見つめるうちに、彼の瞳にたゆたう恋の甘い底光りを発見したとき、拓海は、雅也は綾子のことが好きなんだな、ということを理解した。そしてそれと同時に、「拓海は綾子をかわいいと思うか」と雅也が最初に質問したことを思い出した。  「雅也、お前が好きな女を好きになったらいいんだ。」  拓海のこの唐突で、文脈に沿わない発言は、しかし雅也の胸に鋭く刺さった。先ほどまで微笑を呈していた彼の口元の道化は彼の胸中深くの苦しみをあからさまに示すようになった。  つまり雅也は綾子のことが好きであったが、周囲の目のため、それを認めたくなかったのである。醜女の綾子を好きだと周囲が知れば、馬鹿にされる。そのことが雅也はひと月悩むほどに嫌だったのである。だから雅也は牽制に、拓海に「拓海は綾子をかわいいと思うか」と、そういったのだ。拓海は綾子の容姿をどう思っているのかをあらかじめ理解していれば、自分がどのタイミングで、どういう言い回しから綾子への好意を伝えるか計算できるからである。しかし、雅也は旧知の親友の己に対する果てしのない洞察力をはかり損ねた。雅也が綾子への感情を直接伝える前に、拓海はその瞳の奥の蜜の匂いから、そのことを察してしまったのである。  だが、このことは雅也の気をすこぶる軽くさせた。拓海に綾子への好意をつたえなければならないという辛苦をなめずにすんだのだ。彼にとって、彼女への好意を他人に伝えることは、服をはだけて、己の全裸を見せつけることと同義だったからである。ついに服をはだけずとも、拓海は雅也の服の下の肌の、その肌触りまでをも知ってしまった。
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