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しかし、それでも雅也は綾子への感情を認めたくなかった。思春期の少年の不思議な虚栄と自負とが、己の審美眼が周囲とずれていることを受け入れられないのだ。彼らの若い精神はまだ「普遍性」を求めている。誰もが美しいと思う女性は存在するはずだ、みんながおいしいと思える食材は存在するはずだ、と。主観の正義を彼らはまだ知らなかった。ただ、その若い普遍性を追い求める精神が遥かな大海のような果てしのない好奇心と探求心を彼らに与えるのは確かではあるのだが......
拓海は雅也の、綾子のことが好きだということを認めたくない、という気持ちが痛いほどに理解できた。美術部に所属する拓海は青い柿ではあるが、それでもやはり芸術家である。美しさに普遍性を求める気持ちと、理想と噛み合わない現実の厳しさを彼は知っていた。自身で最高の出来だと評価した作品をけなされる、あのやりきれない屈辱感。愛してやまない芸術家の画を論理的に非難されたのに、それでも俺は好きだからと、そう感情論でしか言い返すことしかできない、しかしそれでしか言い返すことができない歯がゆさ。彼はその時の感情を思い返していた。拓海は胸に短刀が刺さる思いであった。
昼休みが終わろうとしていた。あの騒々しかった教室内の生徒たちは次の授業への億劫からか、次第に落ち着かない表情をして席へとついていた。もう間に合わないであろう宿題を果敢にやりだす者もいる。その三月の相変わらずな教室の、窓際の席前方、雅也と拓海の会議卓上へ冷たい太陽の日差しが、絵の具のような立体感のある白い線を描いて落ちた。差し込んだ光は机上を鏡として、水中での屈折のような反射を見せる。その反射された乱れた太陽光はいたづらに拓海の顔面へ、そのすべてを覆うように鋭い痛みを与えた。
その拓海の顔面の皮膚の下では怒りの血液が脈を打っていた。同族嫌悪の怒りである。雅也の気持ちが推し量れるがゆえに、自身がその経験を泣きながらかみしめたがゆえに、拓海は雅也に己の姿を投影してしまうのである。自己嫌悪の婉曲が彼に発言していた。
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